ディーゼル車の排ガスと / 岩崎俊郎
オイルショックと云われていることがどういった事態だったのかは良く知らないけれど、今回のイラクでの人質の方々にまつわる日本国内の騒ぎ方には、本当にうんざりする。
家のすぐそばに青梅街道があり、室内にも排気ガスのためと思われる生暖かい、「固形物」のような空気が常時流れ込んできていて、普段自分が自分が吸っている空気がたばこの煙よりも体に悪影響を及ぼしている気がする。青梅街道の大気汚染の主な原因はディーゼル車の排気ガスで、ディーゼルエンジンを動かすのは軽油。その軽油の原料となる原油はきっと中東地域から輸入されたもの。イラクの石油かもしれない。
オイルショック以降、日本の実質的な経済成長が止まったというのはよく聞く話だけれども、「もの」を実際に作る人たちの人数より、「もの」を右から左へ動かすことによって経済活動をなりたたせる人たちの人数が上回った時期がちょうどオイルショックの頃なのかもしれない。もちろん、僕自身も「もの」を右から左に動かすことの一旦を担うことによって日々のご飯を食べることができる人間の一人だ。「もの」を生み出すのではなく、「もの」を動かすだけで、ご飯が食べられるという仕組みができてしまったということは、もはや「何もすることがなくなった」ということを意味する。「何もすることがなくなった」から、とりあえず、狭い国土にたいして、複雑きわまりない仕組みを作り上げ、下手なフィクションを組み立てることによって、「バブル経済」と呼ばれる嘘をいきることになり、そもそも始めから嘘なので、数年もすれば破綻し、その後どうするのかと思えば、「ITバブル」という暇つぶしにはもってこいの下手な嘘の上を生きることになる。もちろん、嘘は嘘だから、その「バブル」もすぐに終わりを迎えつつある。そんな出来の悪いフィクションを日本で生かされている間に、「もの」を右から左に動かすことを支えていたのが、中東諸国の石油。石油に限らず、ありとあらゆる「もの」を国外の「誰か」から与えてもらわないと、「もの」を右から左でご飯は食べられない。
で、今回のあの騒ぎ。オイルショックについて、父や母から何となく聞かされたけれど、日本国内の動揺のしかた、騒ぎ方を見ていると、オイルショックの時もこんな感じなのかなあと思ってしまう。つまり、自分達が何もすることがないという現実を忘れ続けれるため、自らは出来の悪い嘘を生きていることを認めることができないために、そのフィクションとしての目の前の現実、この世界を支えている「もの」に関わる何か(中東?、石油?)を感じ取るや否や、過剰反応を起こしてしまうということなのかもしれない。
そもそもフィクションの中に生かされている人間にとって、しかもそのフィクションを支えるために、世界中の人々と無限の間接的な連関を必要とする場合、「自己責任」なんて意味をなさない。この嘘を生きるということは、僕が「もの」を右から左でご飯を食べるだけで、世界の各地で、犠牲になり、人が死んでしまう事態を作り出しているのだから。「自己責任」をとれる人なんて、嘘の世界の住人にはいない。
だからこそ、ミスティック・リバーでイーストウッドが提示した、この出来の悪い嘘の世界に対抗する、緻密に構築されたフィクション(映画)は、貴重なはずだ。あの映画では、「自己責任」などもはや誰もとることができない、だからこそ、「自己責任」をとれないというまさにその事実、現実に対して「責任」というよりは、「覚悟」、そして、出来の悪い嘘自体に対する闘争の態度があったように思う。
今日も、僕は、中東産の石油から作られたディーゼルで走る、大型トラックの吐き出す、排ガスをすって、中東の地中にあったものを、この極東の島国で、体の中に取り入れて、「もの」を右から左に動かして、ご飯を食べる。