TEARS OF THE SUN / 岩崎 俊郎 | bigger than life

TEARS OF THE SUN / 岩崎 俊郎

映画の終わりに、エドモンド・バークの言葉が引用されていたが、「善い人たちが、正義のためになすべき事を怠れば、悪い人たちが勝利する」といったような内容であった。
アメリカのネオコンの人たちについてはよく分からないけれども、バークのこの言葉は新保守主義者と呼ばれる人たちが引用しそうな言葉だ。悪い事をしている悪い人たち(イスラム教系反乱軍)と善い事をしている善い人たち(キリスト教系正規軍)。そして、善い人たちを支援する善い人たち(アメリカ)。
イスラム教系反乱軍が、キリスト教系の政府組織の一家を惨殺されたという知らせを受け、特殊部隊に所属するブルース・ウィリスは、内戦下のナイジェリアで医療活動を行っている医師モニカ・ベルッチを救出するよう指令を受ける。
ブルース・ウィリスを中心とする救出部隊は、女性医師だけを救出せよ、という命令であったにもかかわらず、医師が活動をしていた難民キャンプの難民たちも救う事とになる。カメルーン国境まで、救出部隊、難民の犠牲を強いるものの、女医の救出には成功する。
どうやら、善い事、善い人たちには、階層構造があり、その構造を支えているのが、悪い事、悪い人たちであるらしい。最上位に存在する善い人たちは、もちろんアメリカで、そのアメリカの善い事を実行に移すアメリカ軍があり、さらに、前線で戦闘行為を行う救出部隊がいる。もちろん、国連に所属する医師も善い人で、難民キャンプで働く人も善い人だが、彼らは救出部隊の下部に属する。
より上部にある善い人たちがより下部にある善い人たちを守り、助ける。これが、ネオコンらしい。悪い人たちは「イスラム」や「反乱軍」と適当に名前をつけて、最下層の善い人たち(難民)を攻撃してくれさえすれば、最上部にいる善い人たち(アメリカ)がその下の善い人たち(アメリカ軍)を使って、悪い人たちを駆逐する事ができる。
善い人、悪い人とばかり書いたけれども、現在のアメリカの新保守主義の人たちはこんな馬鹿みたいな事を考えていそうだ。この映画ではシネスコで、ブルース・ウィリスやモニカ・ベルッチの顔をやたらと大きく映し出しすことによって、アメリカと難民の間の善い人たちに善い事全てを代表させていたように思う。アメリカでも難民でもなく、アメリカ軍や、国連が行う善い事だけを映し出していた。
ネオコンの人たちにとっては、世界には善い事と悪い事しかなく、世界を善い事だけに、善い人たちだけにするために、悪い人たちを適当に見つけだしては、悪い人たちを攻撃対象とし、善い人たちを助ける。悪い人たちが存在しなければ、善い人たちを助けられないので、悪い人たちを生かさず殺さず、存在させておく。そこには善悪の彼岸は必要ではなく、善悪の此岸だけがあればいい。そして、善悪の此岸とは、生き延びる「アメリカ軍兵士」であり、生き延びる「難民」であり、生き延びる「イスラム教系反乱軍」のことだ。善悪の彼岸に行ってしまう、それぞれの犠牲者は必要ない。
奇しくも今日、衆議院議員総選挙が行われた。自民党が苦戦、民主党が善戦らしい。政権交代もあり得るらしい。自民党も民主党も「アメリカ軍」や「国連」と同じで、「アメリカ」の下部に存在する「善い人たち」であることに変わりはなく、どこまでいっても「犠牲者」は必要ない、語られない。自民党の次に議席の多い、民主党をクローズアップすることによって、マスメディアは「ティアーズ・オブ・ザ・サン」のシネスコの画面で行ったように、「犠牲者」を決定的に映し出さない事を実践している。
雨降りの総選挙の日、そんなひは無記名投票でもして、「アメリカ」も「アメリカ軍」も「難民」も「イスラム教系反乱軍」も、何ものも「代表」せず、また、「ネオコン」映画を見てしまったら、バークではなく、ニーチェを読むのがどうやら「善い」のかもしれない。