以前、考えることについて少し前のブログに書いた。授業の中でディスカッションをする機会が多いが、なかなかアイデアが思い浮かばず苦労している。考える能力を身に付けるにはトレーニングが必要だったり、習慣化することが重要なので、興味を持ったことや悩むことがあったらこのブログに書いていこうと思う。考えることのはじめの一歩として、”考える”とはどういうことなのか考えてみる。考えることは人間に与えられた最も素晴らしい能力の一つだと思う。この考える能力が多くの技術や変革をもたらしてきた。考え方の違いが人の個性と豊かさ、アイデアを生み出している。しかし、”考える”とはどいうことか今まで考えたことがあるだろうか。今日は自分の経験から、考えるとはどういうことなのか書いていこうと思う。
”考える”とは何か意味を調べてみると”知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせること”と出てきた。少し話がズレるが、この定義からわかることは新しいものを創造するということは、数ある知識や経験をどう組み合わせ、応用するかということだ。世界中の本質的に新しいものなんて一つもない。元素と同じだな。
小学校から大学までの自分の学習を振り返ると、答えが明確にある定量的な理系科目ばかり得意としていた。ある数値から論理的に答えを見つけ出し分析することが好きだった。一方、国語や社会など、定性的で数字で表すことのできないことは苦手で、そういった課題があるとネットで人の意見をすぐ探したりして、受け売りになることばかりだった。自分がよく頭を使って考えたことがあるとすれば、自分に利益があることが見込めるとわかったり、理不尽なことに対して主張するとき、興味を持って楽しいと感じられることに対して時間をかけて考えていた。中学時代を思い返すと、校則でくるぶしソックスが禁止されていて、長い白ソックスが基調とされていた。なぜ、くるぶしソックスがだめなのか自分には理解できず、先生に聞いてみたところ、”足首をケガから守るため”だと、、、布切れ一枚で足首が保護できるのかよ!それよりも夏場暑い中で長い余分な丈のソックスを履く意味がわからない。くるぶしの方が涼しいに決まってるし、足首の動きが制限されなくて快適で長いダサい白ソックスより くるぶしの方がメリット多いだろ!と思ったことを今でも覚えている。
多くのことを今振り返れば、先生や親の言ってきたこと、もちろん社会で当然だと思われていることも、全て正しいはずがなかった。今一度社会で常識であることを自分になりに思考し直すことが重要ではないか。考えることを辞めたら、それはただ本能のままに生きている中身のない人間であって、将来、生きている意味を見失うことになる気がする。周りの流れに沿って生きて、ただなんとなく会社からお金をもらって不自由なく生活できればいいや、なんて考え方は何の楽しみもない。自分なりの経験や知識を物事に対して思考する。それが自分の生活を豊かにし、自分らしさ、個性を形作るはず。しかし、ただ考えるだけではダメだ。冒頭でも考えることの定義を述べたように、知識と経験をどう応用するのかを一つ視点を変えて、”工夫して考える”ことが必要。自分には少し 工夫して考えることは早すぎるので、まず自分の意見をストレートにブログに書いていく。
文章を書くのが苦手な自分がここまで長い文章を書けたことが驚き。今日は考えることについて考えてみたが、何かまた思いつくことがあれば更新していこうと思う。
今度は働くとはどういうことか考えてみる。