玉造稲荷神社 | たまごちゃんの神様ブログ

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縁があって出会った神様のことを書いています。

朝目覚めて、歯みがきをしてから
ベランダに出て大きく伸びをしています。
 
東の空に向かって、神様にお礼を言えるのが
幸せな時間。
私の1日のスタートです♪
 
 
とっても不思議な?幻想的な?
空の模様です(^.^)
 

 
 
うわぁ♪ 神様!
    今日の空すごいですね~♪
 
 
すると、みるみる(10秒ぐらいかな?)
お日様のところだけ雲間をあけて
光のお顔を見せてくださいました!
 
 
 
 
『神様ありがとうございます(^.^)
    素敵なプレゼント嬉しいです♪
    パワーくださったお陰で、
    今日も幸せな日になります♪』
 
 
 
 
 
家族の用事なのですが、
私がわざわざその現地まで
車で送って行く事になりました。
(そして終わるまで2時間待つとか…)
 
 
待っている間、マップで近くの神社を
探してみると 玉造稲荷神社
とありました。
 
 
 
 
 
鳥居の外からでも、
あぁここ、いい神社さんやろな~ (*^_^*)
と感じます。
 
 
 
 
写真をとり忘れてしまいましたが、
たしかこんなお話が書かれていました。
(細部もし間違っていたらごめんなさい)
 
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
 
聖徳太子が物部氏との争いで
この神社さんに勝利を祈願して、
栗の枝を刺して
 
もし我が勝利するのなら、この枝に
 枝葉をたくさん茂らせてください。
 
そうすると、大きく栗は育ち、争いに勝利したと!
聖徳太子はたくさんのお礼を奉納します。
この岡の栗の木で十一面観音像を御手彫りされ
昔は祀られていましたようです。
 
すごいなぁ、、聖徳太子ってこの争いの時って
数えで14歳?
今の中学一年生ぐらいですよね。(ー_ー)!!
偉いなぁ・・・大変だなぁ。
 
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
 
そして、プチ情報なのですが・・・(笑)
その栗の木を太子から預けられた人が
おられまして、「栗岡」の姓を賜ったとのことです♪
 
 
 
 
 
めちゃくちゃビックリした話を聞いたのですが
すーーごく昔、
昔の昔のむーかーしー
海(大阪湾)の地形が今と違った
6000年前から、この地に人が住んでいて
漁業・農業以外のはじめての職?
勾玉づくりがさかんになっていた地で
それが「玉造(たまつくり)」の地名の由来だとか!
 
 
 
大坂城の鎮守神として、人々から篤く
崇敬されていた神社さんのようです!
近所に前田利家のお屋敷もあったとのこと。
 
 
 
 
 
こちらの、ご祭神は

宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)

下照姫命(したてるひめのみこと)

雅日女命(わかひるめのみこと)

月読命(つきよみのみこと)

軻遇突智命(かぐつちのみこと)

 
凄いメンバーですね (*^_^*)♪♪♪ ☆ミ
 
 
 
 
向かって左の狛犬さんの前に、
大きな石の勾玉が。。
 
 
 
思いを込めてなでるといいとか♪
ドーン!と、
『子の悩み』 って書かれてます!
 
 
 
 
 
 
こんなマップが!
 
 
すご~い (*^_^*)
知りませんでした!
玉造稲荷神社は、お伊勢参りの
スタート地点として栄えていたそうです♪
 
 
 
 
 
 
 
んっ?
 
……(@_@)はっ!!!
 
 
私の好きな弁天さま。
しかも『厳島神社』でした。
 
 
こんなところでバッタリ 
お会いできるなんて~。
 
じぃ~ん……と目が熱くなって、
涙でうるうるします。
 
私も年いったんかなぁ(^-^;
最近すぐ感動してしまいます。
コンタクトが乾いていたので、
ちょうどよかった……(笑)
 
 
昔、この池に、白龍観音さまが現れた
伝説が残っているようです!
それで弁財天さまをお祀りされたとの事です。
 
 
 
おん  そらそばていえい  そわか
 
おん  めいぎゃ   しゃにえい  そわか
 
 
 
 
 
 
厳島神社さまの隣に、
万慶稲荷神社・新山稲荷神社と、
2つ並んでいました。
 
万慶稲荷神社は、
大坂城内の各屋敷にお祀りされていた
お稲荷様を一社にあつめた神社さん。
 
新山稲荷神社は、当時の大坂城代・松平輝和に
よって祀られていましたが、その屋敷の敷地
(現在は、清水谷高校)から明治40年に
合祀されてきた神社さん。
 
 
ピシ・・・・っと、厳しい空気を感じました。
鳥居をくぐると、
すっっごくたくさんの眷属に、
ジロっとみられます。。
 
 

秀頼公の大きな像がありました。
 
 

鳥居が・・・
鳥居が埋まってる!!(゜o゜)
 
 
1603年に、秀頼公が奉納されたこの鳥居は、
1615年の大坂夏の陣、1945年の第二次世界大戦と
2つの大きな戦禍を乗り越えてきました。
 
しかし、1995年の阪神・淡路大震災で、
ついにその基礎部分に損傷を生じてしまいます。
 
建立以来400年もの間 【大坂城の鎮守神】 として
存在し続けていてくれたその歴史的シンボルに幕を閉じ、
ここに保存することとなったようです。
 
 
 
 
 
 
わー!
秀頼公と、その母上の淀殿とを結んでいた、
胞衣(胎盤・卵膜)が祀られていました!
 
淀殿はとくにこの神社さんを、大切に
していたんですね。
当初、大坂城の三の丸に当たるこの地に埋められ、
その後は豊臣家を慕う当地の人々により
密かに祀られていたそうです。
 
 
 

難波・玉造資料館が境内にありました。
中を見せてもらうには、1週間前までに
予約が必要でした。 (100円です^^)
 
 
 

この清水谷のあたりは、良質の水脈で
千利休もお屋敷を構えていたそうです。

 
 

ぜんぜん来る予定じゃなかった玉造 (笑)
だけど、すごくすごく~いい神社さんで、
お参りに来させてもらう流れになって、
本当によかったです♪
お稲荷さま、弁財天さま、
今日もありがとうございました(*^_^*)


星玉造稲荷神社星
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大阪府大阪市中央区中央区玉造2丁目3−8
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