朝目覚めて、歯みがきをしてから
ベランダに出て大きく伸びをしています。
東の空に向かって、神様にお礼を言えるのが
幸せな時間。
私の1日のスタートです♪
とっても不思議な?幻想的な?
空の模様です(^.^)
『うわぁ♪ 神様!
今日の空すごいですね~♪』
すると、みるみる(10秒ぐらいかな?)
お日様のところだけ雲間をあけて
光のお顔を見せてくださいました!
『神様ありがとうございます(^.^)
素敵なプレゼント嬉しいです♪
パワーくださったお陰で、
今日も幸せな日になります♪』
家族の用事なのですが、
私がわざわざその現地まで
車で送って行く事になりました。
(そして終わるまで2時間待つとか…)
待っている間、マップで近くの神社を
探してみると 『玉造稲荷神社』
とありました。
鳥居の外からでも、
あぁここ、いい神社さんやろな~ (*^_^*)
と感じます。
写真をとり忘れてしまいましたが、
たしかこんなお話が書かれていました。
(細部もし間違っていたらごめんなさい)
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聖徳太子が物部氏との争いで
この神社さんに勝利を祈願して、
栗の枝を刺して
「もし我が勝利するのなら、この枝に
枝葉をたくさん茂らせてください。」
そうすると、大きく栗は育ち、争いに勝利したと!
聖徳太子はたくさんのお礼を奉納します。
この岡の栗の木で十一面観音像を御手彫りされ
昔は祀られていましたようです。
すごいなぁ、、聖徳太子ってこの争いの時って
数えで14歳?
今の中学一年生ぐらいですよね。(ー_ー)!!
偉いなぁ・・・大変だなぁ。
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そして、プチ情報なのですが・・・(笑)
その栗の木を太子から預けられた人が
おられまして、「栗岡」の姓を賜ったとのことです♪
めちゃくちゃビックリした話を聞いたのですが
すーーごく昔、
昔の昔のむーかーしー
海(大阪湾)の地形が今と違った
6000年前から、この地に人が住んでいて
漁業・農業以外のはじめての職?
勾玉づくりがさかんになっていた地で
それが「玉造(たまつくり)」の地名の由来だとか!
大坂城の鎮守神として、人々から篤く
崇敬されていた神社さんのようです!
近所に前田利家のお屋敷もあったとのこと。
こちらの、ご祭神は
宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
下照姫命(したてるひめのみこと)
雅日女命(わかひるめのみこと)
月読命(つきよみのみこと)
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
凄いメンバーですね (*^_^*)♪♪♪ ☆ミ
向かって左の狛犬さんの前に、
大きな石の勾玉が。。
こんなマップが!
すご~い (*^_^*)
知りませんでした!
玉造稲荷神社は、お伊勢参りの
スタート地点として栄えていたそうです♪
んっ?
……(@_@)はっ!!!
私の好きな弁天さま。
しかも『厳島神社』でした。
こんなところでバッタリ
お会いできるなんて~。
じぃ~ん……と目が熱くなって、
涙でうるうるします。
私も年いったんかなぁ(^-^;
最近すぐ感動してしまいます。
コンタクトが乾いていたので、
ちょうどよかった……(笑)
昔、この池に、白龍観音さまが現れた
伝説が残っているようです!
それで弁財天さまをお祀りされたとの事です。
おん そらそばていえい そわか
おん めいぎゃ しゃにえい そわか
厳島神社さまの隣に、
万慶稲荷神社・新山稲荷神社と、
2つ並んでいました。
万慶稲荷神社は、
大坂城内の各屋敷にお祀りされていた
お稲荷様を一社にあつめた神社さん。
新山稲荷神社は、当時の大坂城代・松平輝和に
よって祀られていましたが、その屋敷の敷地
(現在は、清水谷高校)から明治40年に
合祀されてきた神社さん。
ピシ・・・・っと、厳しい空気を感じました。
鳥居をくぐると、
すっっごくたくさんの眷属に、
ジロっとみられます。。
秀頼公の大きな像がありました。
ぜんぜん来る予定じゃなかった玉造 (笑)
だけど、すごくすごく~いい神社さんで、
お参りに来させてもらう流れになって、
本当によかったです♪
お稲荷さま、弁財天さま、
今日もありがとうございました(*^_^*)
玉造稲荷神社
〒540-0004
大阪府大阪市中央区中央区玉造2丁目3−8
06-6941-3821