前回は、バティックの工場を捜すのにとても苦労しました。
散々捜しまわって、やっとギリギリになってバティックの工場を捜しだしたのです。
その時、その会社の社長から、バティックの説明をしてもらいました。
以下、社長の話です。(N社の駐在員の方の通訳)
バティックとは、更紗ともよばれますが、とろうけつ染めの事です。
たから、インドネシアバティックの事をジャワ更紗とも言います。
ろうけつ染はインドネシアが起源といわれ、アジアの各地にある染物です。
ろうけつ染めがバティックと呼ばれる所以は、インドネシアにその起源を発するとともに、数あるろうけつ染めの中でも、特にインドネシアのものが優れているので、ジャワ語でろうけつ染めを意味する【バティック】が、ろうけつ染めの総称になったのだそうです。
工場では、バティックの製法も見学して、詳しい説明をしてもらいました。
①先ず、布地に鉛筆などで下絵を描きます。
この時の下絵は、生産地によって独自の柄があり、そのためインドネシアバティックには多彩な柄や色使いの生地があります。
②次に下絵をもとにロウ描きをします。
この時使うのがチャンティン(ジャワ語でひしゃくの意味)です。
チャンティンは、長さが10cm、太さが3cmほどの管状のものの先に、太さが1mmほどの穴が開いた細い口がついています。
チャンティンには、口が一つのもの、二つのもの、三つのものの3種類があって、当然のことながら、口が多い方が、使うのに熟練を要するのだそうです。
ロウ描きをする時は、管の中に溶けたロウを入れて、細い管の口からロウを出しながら、下絵の線をなぞります。
複雑な線を寸分も違わずになぞり、しかも手早く描かなければなりません。
時間をかけると管の中のロウが冷えて固まり、チャンティンの出口から、ロウが流れ出ないからです。
説明してくれた社長の話によると、これが一番難しい作業で、この作業をするためには、長い修行が必要だそうです。
この作業に熟練しなければ、いいパテッィクは出来ないとの事でした。
③ロウとロウの間に、色を着けて行きます。
この時、ロウ描きの稚拙が分かります。
境目までキッチリとロウ描きされていないと、異なる色がまじりあって綺麗な柄はでません。
④色着けが終わったら、手でロウをこそぎ落として、そのあと、熱湯に入れて残ったロウを溶かして、綺麗にロウを落してしまいます。
⑤ロウを落とした後の生地をよく洗い、干して乾かします。
社長の説明を聞いて、ロウと絞り糸の違いはあれ、バティックの工程と藍の絞り染めの行程は似ていると思いました。
さらに社長の話は続きます。
バティックはインドネシア各地で作られていますが、ジャワ島のジョグジャカルタとソロのバティックが最高だと言われています。
模様も各地に特徴的なデザインがあり、ソロ・チレボン・プカロンガン・ラスム・インドラマユ・バンドンなどの様式があります。
特に私の興味を引いたのは、バンドン模様の中に、茶色の矢絣模様があった事です。
バンドンのバティックと日本の矢絣になにかつながりがあるのでしょうか?
話が脇道にそれました。
さて、今回の出張の目的は、バティックの生地を輸入ベースで買い付ける事です。
前回サンプルとして買った15柄のバティックの生地を、日本でいろいろなものに加工してサンプルを造りました。
その中で、一番好評だったのは傘でした。
15柄の中から、傘の生地として5柄を選びました。
5柄に限定したわけは、傘の生地を裁断する時は、長い生地を上下交互に三角形に裁断していくので、折角の柄が分断されてしまいます。
だから、柄によっては折角の柄が生きないのです。
その代り、傘の生地に適したバティック柄は、三角形に分断する事によって、決して同じ柄の組み合わせが出来ないと言う事も分かりました。
簡単に言えば、一つの柄の生地で傘を作っても、決して同じ柄の傘は出来ないと言う事です。
生地は日本で防水・撥水の加工をして、心棒と手元(ハンドル)には、自然木を使いました。
生地に防水・撥水の加工をすると、生地本来の風合いがなくなる事があります。
それが一番心配でした。
しかしその心配はいりませんでした。
防水・撥水加工をした生地はバティック本来の風合いを保ったままでした。
生地も良質の綿生地なので、日傘にも雨傘にも使えます。
これは後日談になりますが、この時作ったバティックの傘は、その年、東京で開催された【国際インポートフェア―】に出品して、好評を得ました。
その後、サンシャインビルの中にある国際展示場にも展示されました。
又、この時並行して開発した絣の傘は、【中小企業庁長官賞】を受賞しました。
両方とも、我が社ではチョットしたヒット商品になったのです。
これも、【FUJI CLUB】の【顔はそうでもないオネエサン達】と【病気のお婆さんと三人の子供達】のオッチャンの御利益のおかげでしょう。
あの時オッチャンにやった30,000ルピアは、お布施だったのかも知れません。
これは余談ですが、その時、久しぶりに仏心を起こして、女房の御土産に総手書きのバティックの生地を買いました。
柄は女性好みの、淡い色彩が特徴のプカロンガンの花柄バティックで、生地も良質の綿生地でした。
女房はそれでワンピースを作りました。
生地の柄と色は、当時の女房の年齢に合わせて選びました。
藍染もそうですが、いい染物は使うたび、洗うたびに風合いが増します。
バティックのワンピースも、女房と共に年輪を重ねました。
20年以上経った現在でも、女房はそのワンピースを愛用しています。
今の女房が着ても、全く違和感がありません。
心をこめて作られた物は、いつまでも価値を保つものです。
いや、歳を重ねるごとに、その価値は増して行くようです。
続く