☆BTE 2021-12-16記
My Old Kentucky Home :

 

この歌は、フォスターの歌で、1852年です。日本では、まだ江戸時代です。その歌を、今、2021年、聴いている事は、驚きでもあります。今は、ケンタッキー州の州歌だそうです。インターネットで検索すると、色々な事が書かれています。米国の南北戦争が1861年から1865年の事なので、それ以前の、米国事情が、少なからず、この歌に反映されているようです。

 

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My Old Kentucky Home (1852)

Composer&Lyrics Stephen Foster


「My Old Kentucky Home」英語詩:

曲名:ケンタッキーですごしたあのいえ

美艇香津 訳詩

 

The sun shines bright in my old Kentucky Home,
    ひはかがやく、ケンタッキーのいえ

 'Tis summer, the darkeys are gay,
    なつで、みんな、たのしく

 The corn top's ripe and the meadow's in the bloom;
    とうきびはみのり、はなさくのはら

 While the birds make music all the day,
    とりも、いちにち、うたいくらす


 The young folks roll on the little cabin floor,
    こどもは、ちいさなへやをかけまわり、

 All merry, all happy, and bright,
    ぜんぶ、たのしく、しあわせで、かがやく

 By'n by hard times comes a-knocking at the door,
    それも、さよなら、ドアをたたき、つらいときがくる

 Then my old Kentucky Home, good-night!
    そう、ケンタッキーですごしたあのいえ、おやすみ、

 

 Weep no more, my lady,
     もうなかないで、レイディ、

 Oh weep no more today!
    あ、きょうは、もう、

 We will sing one song for the old Kentucky Home,
    ケンタッキーですごした、あのいえのうたがある、

 For the old Kentucky Home, far away.
    ケンタッキーのいえ、もうとおい


 Weep no more, my lady,

    もうなかないで、レイディ、

 Oh weep no more today!
    あ、きょうは、もう、

 We will sing one song for the old Kentucky Home,
    ケンタッキーですごした、あのいえのうたがある、

 For the old Kentucky Home, far away.
    ケンタッキーのいえ、もうとおい

 

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さっそく、1行目です。

 

The sun shines bright in my old Kentucky Home,
    ひはかがやく、ケンタッキーのいえ

 

パソコンの自動翻訳で見ると、

 

⇒私の古いケンタッキーの家では太陽が明るく輝いています

 

その通りですね。上記、訳では、「私の古い」と、「明るく」は省いて、「太陽」は、「日」となり、「では」、「います」の、助詞、助動詞を消しました。「古い」は、この歌が進むと、そうだろうと分かりますし、「明るく」は、もう、「輝く」と言っているので、そこに含まれます。「私の」は、そこまでの明確な定義は、日本語では要らなさそうです。

 

英文の訳が、歌の詩の訳となる過程においては、音符にも限りもあり、言わんとする所を、拾い上げる事になります。また、「たいよう」というか、「ひ」で済ませるかの違いも大きいですね。そして、さらに、詩においては、日本語の助詞、助動詞の使い方で、大きな違いを生む事になります。それは、日本語ネイティブの訳詩の醍醐味でもありますが。

 

この後の行も、普通の英文の訳を、どのように歌えるかを考えて、音符のある限りで訳す、そんな所です。そして、訳した和文が、英文と同じ気持ちであろうという所まで進めます。

 

次の行、

 

 'Tis summer, the darkeys are gay,
    なつで、みんな、たのしく

 

※この「darkeys」という語が問題となり、州歌では、「people」になりました。

 

それで、訳も、「みんな」で落ち着きました。

 

次の行。

 

 The corn top's ripe and the meadow's in the bloom;
    とうきびはみのり、はなさくのはら

 

 corn  トウモロコシ、トウキビ

 meadow  牧草地

 

「とうきび」は、文字数が少なくて、音符に合わせられます。「牧草地」は、「ぼくそうち」と言うと、その書き文字がないと、意味の判断に戸惑います。それで、「のはら」としました。牛や羊の居る牧草地が、この歌に取って必須の条件とは思われないので、その風景を描写する言葉でよいと考えます。

 

この歌の第1連の終わりは、広い野原に、見える風景です。そこでは、

 

 While the birds make music all the day,
    とりも、いちにち、うたいくらす

 

パソコンの自動翻訳で見ると、「While」を除いて、

 

⇒鳥は一日中音楽を作ります

 

これも、そうですね、と言うしかありません。この自動翻訳の問題点は、助詞の「は」の是非、また、「音楽を作る」です。意味は分かります。でも、「鳥は...音楽を作る」という文を歌うのは至難の業でしょう。自動翻訳も、どうして、ここで、「歌う」と訳せなかったのかと思います。「音楽を奏でる」とか、「音楽を演奏する」とかもありますが、ここで、「音楽」という言葉で訳さざるを得なかった自動翻訳の守備範囲の狭さが明らかですね。「music」なので、「音楽」なのでしょうが、「鳥が」と言っているので、考える余地はあったはずですね。それは、自動翻訳がどうこう言うのではなく、一般に、訳詩ということで、考えるヒントが、そこに垣間見られる気がします。

 

訳では、「うたう」のが、一日中なので、「うたいくらす」になりました。「くらす」に当たる英単語はないのですが。

 

歌は進み、次の連です。


 The young folks roll on the little cabin floor,
    こどもは、ちいさなへやをかけまわり、

 

 young folks  若い人々

 cabin  〔粗末な〕山小屋、船室、客室、キャビン

 roll on  転がって行く、〔波が〕押し寄せる

 floor  床

 

「young folks」は、どういうイメージでしょうか。部屋の床を、転げ回るのは、青少年というよりは、はっきりと、小さな子供たちのように思われます。

 

「cabin」も、具体的には、イメージしづらいものです。「小さな」とはあるので、そのイメージに総てを預けて、単に、「へや」としました。

 

そして、それは、全てが、楽しく、幸せに、輝くのです。

 

 All merry, all happy, and bright,
    ぜんぶ、たのしく、しあわせで、かがやく

 

そして、次の行で、いきなり、この歌の主旋律が奏でられます。

 

 By'n by hard times comes a-knocking at the door,
    それも、さよなら、ドアをたたき、つらいときがくる

 

 By'n by (by and by)  将来の、ある最終的な 時刻 に、やがて

 hard times  厳しい時代

 

ドアをノックする者があり、それは、ある事情を齎した全てです。それが、今、そこにある、来ているのです。辛い時が来て、ドアを叩かれている、その家を出て行く、さよなら、しなければならないのです。「bye-bye」の音が聞こえます。「By'n by」と「bye-bye」は違うのでしょうが、それを、突き詰める事はしないで置きます。

 

この前の行までの楽しい情景が、真逆のものに変わります。だから、この前の行までを受けて、「それも」と、言葉を挟みます。「それも」に当たる、英単語は出て来ていないのですが。

 

そして、今、言えるのは、「おやすみ」だけです。「my old」は、「私の、懐かしい、古くからの」ですが、その家を形容詞で表すのでは物足りなくて、その形容詞が相応しい、事実を、訳としました。そこで、過ごした長い時間があるので、それは、「懐かしい、古くからの」家なのです。

 

形容詞があるのに、その形容詞を訳さないのかとの声もあるかも知れませんが、「my old」の意味は、それだけ深いと言う事です。

 

「Then」も、「そう」、と訳出しました。ただの、「そして」や、「それから」ではなくて、「おやすみ」に至る言葉への思い入れがあるという事でしょうか。最後に、その家に懸ける言葉は、「おやすみ」、です。

 

 Then my old Kentucky Home, good-night!
    そう、ケンタッキーですごしたあのいえ、おやすみ、

 

そして、第3連、伝えようとすることがあります。

 

 Weep no more, my lady,
     もうなかないで、レイディ、

 

 Weep  泣く

 lady  (女性を敬って言う言い方)

 

「lady」の訳が分かりませんね。さらに、「my lady」って?、となります。単語の辞書的表記を頼りにしても、それは、言語記号の変換というだけです。歌の、こういう場合に、日本語は、どう言っているのか、という事です。「ご婦人」とか、「お嬢さん」、「お嬢様」、とか訳しても、座り心地が今ひとつで、お尻がむずむずします。

 

なので、どういう意味なのか、日本語ネイティブにしか分からない、「レイディ」を選択しました。それは、英語の読みをカタカナで書いただけですが、それは、今は、我々には、よく分かる、普通の言葉であり、さらに、それが、もともと、外国の貴婦人を対象とする言い方、みたいな事を学校で習っていて、そこにある、丁寧さは伝わります。それは、この歌では、小さな女の子でもいいし、あるいは、子供時代を過ぎて、若者になった、少し大きな女の子かも知れません。また、さらに、もう、立派に年を重ねた女性でも、いいかも知れません。

 

とはいえ、「レディ」ではなく「レイディ」と「イ」の音を入れました。「レディ」と言ったら、それは、日本化したレディで、英語の表わすレディではありません。英語の発音が「レイディ」なので、その音は借りました。本当の、向こうの国のレディの姿が浮かび上がります。それは、もう、貴婦人というのではありませんが。

 

日本語が呑み込んだ、「レディ」という言葉を、我々は知っているのです。

 

そして、次の行も、「泣かないで」と、繰り返します。この行では、「lady」の箇所が、「today」に代わりました。「今日は」ですね。今の事なのです。

 

 Oh weep no more today!
    あ、きょうは、もう、

 

同じ語があるからといって、「もう泣かないで、今日は」とはしません。ただ、「もう」という言葉で、「もう泣かないで」を、想起させ、繰り返します。「Oh」も、「お」ではなく、「あ」にします。それは、「泣く」のに、驚きあきれるのではなく、気が付いて、分かっていて、どうにかしてあげたい気持ちなのです。英語では、それも、「Oh」でよいというだけの話です。「あ」に、そう言う意味があるとは、どこの辞書を見ても書いてはいないでしょう。辞書を探すのは無駄です。

 

そして、次の行は、言葉が進められます。どうだこうだと、泣いている子に話し掛けるのです。実際、それ以外にできる事はないのですから。

 

 We will sing one song for the old Kentucky Home,
    ケンタッキーですごした、あのいえのうたがある、

 

パソコンの自動翻訳で見ると、

 

⇒古いケンタッキーホームのために1曲歌います

 

そうですね。「だから何?」と言いたくなります。「歌うんだから、よく聞いてね。」と言われても、それを有難く思うには、この歌う人の意図を、忖度し、仮想しなければならないのです。

 

そうではなくて、ここは、懐かしい、親しんだ、ケンタッキーの家のための、オマージュソングが歌われる事を伝えているのです。未来形の「will」で言われています。まだ、今、目の前では歌っていませんが、その歌があり、それを、歌います、と言うのです。その歌は、いつ作曲したのかと尋ねる人があるかも知れませんが、それは、子供たちが部屋を駆け回り、楽しく遊んだ日々に、もう出来ているのです。それを、後で歌おうと言って、もしかしたら、レディの、小さな女の子も、納得するのです。今、悲しいけれど。

 

この連の最後の行です。

 

その歌を歌うその時は、このケンタッキーの家からは、もう、遠く離れていると思うけど、という事です。でも、歌があるよね、と慰めるのです。「もう」に当たる語は見当たりませんが、「ずっと遠い」、「far away」に、それは近いかなと思います。

 

 For the old Kentucky Home, far away.
    ケンタッキーのいえ、もうとおい

 

同じ連を、もう1度繰り返します。何回も、いつまでも、泣くのを止めて、いつか寝入ってしまうまででしょうか。


 Weep no more, my lady,

    もうなかないで、レイディ、

 Oh weep no more today!
    あ、きょうは、もう、

 We will sing one song for the old Kentucky Home,
    ケンタッキーですごした、あのいえのうたがある、

 For the old Kentucky Home, far away.
    ケンタッキーのいえ、もうとおい

 

 

-完-

 

(余白残興)

 2021.12.17記:

 

何人もの訳詩者があり、日本語で歌われもします。その詩で聞きたいのは、なぜ、その家を離れなければならなかったのか、という事と、その悲しみにも、それを慰め、救う、歌は、どこから来たのか、という事です。善意の個人の手に余る、社会情勢の変化に振り回されながらも、その自分たちの持っている歌に気が付く事が出来れば、という希望が歌われているようです。

 

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