☆BTE 2022-2-15記
Sweet Jennie Lee:

 

この歌は、ジェニー・リーという、テネシーの明るい女の子に捧げられた歌です。若い男の子たちの、楽しい気持ちが、屈託なく歌われます。男の子の、女の子の噂話をする口ぶりが、歌い方にも、そのまま、素っ気ない様な、気取ったような、でも、心の中は、少し穏やかでないような、そんな感じが、聴こうとすると聞き取れます。

 

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Sweet Jennie Lee(1930)
Songwriters: DONALDSON, WALTER

 

「Sweet Jennie Lee」英語詩:

曲名:スウィート・ジェニー・リー

美艇香津 訳詩

 

Sweet Jenny Lee from sunny Tennessee,
 スウィート・ジェニー・リー、あかるいテネシー
You'll love her when you see
 みればわかる
Sweet Jenny Lee!
 スウィート・ジェニー・リー

 

Each little bird is singing merrily
 ことりもうたう、みかけるだけで、
Just getting set to see
 たのしくて、
Sweet Jenny Lee!
 スウィート・ジェニー・リー

 

She has that certain something in her style,
 そのすがた、ひかれるこころ、
She has a big bit of heaven in her smile.
 そのほほえみは、パラダイス

 

She promised me that she'd say yes sir-e,
 やくそくの、こたえは「イエッサリー」
That's good enough for me,
 うれしい、ときめき
Sweet Jenny Lee
 スウィート・ジェニー・リー

 

(instrumental)

 

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では、さっそく、見て行きましょう。

 

Sweet Jenny Lee from sunny Tennessee,

 

Sweet 甘い

Jenny Lee 女の子の名前

sunny  日当たりのよい

 

普通の英語の形容詞「Sweet」や「sunny」があります。だからと言って、「甘いジェニー・リー」とか、「日当たりのよいテネシー」と訳さなくてはいけない義理はありません。

 

もともと、「スウィート」は、優しい英単語として、訳文で、そのまま使う事にも、あまり問題はないと思います。むしろ、その表記を、「スイート」とするかどうかの方が問題です。書き文字になると、英単語の綴りも同時に頭に浮かびますから、「w」のある「スウィート」になります。

 

そして、「日当たりのよいテネシー」の方ですが、音符の長さに合わせる事を考えると、「日当たりのよい」は、少し長いので、「日当たりの」位になりそうです。とはいえ、その、太陽の明るく輝くイメージを表わす言葉は、いくつかすぐ浮かびます。そして、それは、テネシーという地域と、そこに生まれた女の子の、どちらにも共通する特性を表わす言い方を選ぶ事になります。なので、「明るい」を選びます。「日当たりのよい女の子」という言い方は出来ませんね。

 

 スウィート・ジェニー・リー、あかるいテネシー

 

次の行は、


You'll love her when you see

 

これを自動翻訳で見ると、

 

⇒あなたが見る時には、あなたは彼女を愛する

 

分かりますね。これは、「見て、愛する」、ですね。しかも、「その時点ですぐに」という意味合いのある事が感じられます。なので、「見れば愛する」とか、「見てすぐ愛する」と、訳せます。その通りです。ジェニー・リーは、明るい女の子で、それは、見てすぐ分かるその子の特徴です。それは、好ましい、評価すべき特徴で、なので、「愛すべき」特徴なのです。だから、「愛する」と言う前から、それを聴く人には、前の行で、分かっている事です。

 

我々にとって、「愛する」という言葉は、結構、重みのある言葉です。この言葉を、普通に使えるようになったのは、明治以降、しかも、今でも、なかなか、使い切れない単語ではあるのです。それを、歌の出だしから、言い立てるのも、ちょっと、不慣れな所があり、ちょっと、「ぎょっとする」では言い過ぎですが、びっくりして、落ち着かないのです。この歌の先は、まだありますから、ここは、さらっと流して、先に行きたい所です。英語国民なら、ここの「love」も、「そうだよね」位に、聞き流して、その先を聴こうとしているものと思われます。

 

なので、敢えて、この行は、「love(愛する)」の語を飛ばして、通り過ぎます。その子を「見て」、分かっている事、その子は、可愛くて、愛らしい、それだけでよいのです。その子の事で教えたい事がいくつもあります。それを聞いて、だから、「愛してしまうんだ」、という事を納得してもらいたいのです。いきなり、「愛する」という結論では、歌が続けられません。それで、こうなりました。

 

 みればわかる

 

そして、その子の名前を、繰り返します。

 

Sweet Jenny Lee!
 スウィート・ジェニー・リー

 

次の行からは、その子の事を、もっと、詳しく教えてくれます。

 

Each little bird is singing merrily

 

merrily 楽しく、陽気に

 

小鳥たちが歌います。そして、この行は、次の行まで含めての一文になります。なので、次の行の分も、この行に含めてしまいます。それは、構わないでしょう。訳と言っても、一行毎に訳せという決まりを自らに課す事まではしなくてよいと思います。

 

この行を自動翻訳で見ると、

 

⇒それぞれの小鳥は陽気に歌っています

 

それで、この「merrily(陽気に)」の語は、次の行に回しました。そして、次の行にある「see」を、こちらに貰いました。

 

 ことりもうたう、みかけるだけで、

 

次の行は、

Just getting set to see

 

この行も自動翻訳で見ると、

 

⇒見に行く準備をしている

 

この行の、「見に行く準備をしている」は、その様子を、思い描く必要があります。「準備をしている」と言ったら、小鳥たちが何をしているのか、分かりません。小鳥たちが、「準備」のつもりなのかどうかも、本当は分からないのです。それで、その様子を、訳している自分の表現に置き換えてしまいます。それは、「小鳥たちが、ジェニー・リーを見かける、そして、見に行く」です。そして、この言葉は、既に、前の行で言ってあります。

 

なので、この行の分は、前の行にあった言葉で残した「merrily」だけです。

そして、その訳は、「ようきに」というと、その漢字を思い浮かべる必要が出て来て、紛らわしいので、「たのしく」とします。

 

 たのしくて、

 

そして、また、その子の名前を、繰り返します。


Sweet Jenny Lee!
 スウィート・ジェニー・リー

 

次の行に行きます。周りの小鳥たちも大好きになるその女の子は、自分にとってはどうなのかを言います。

 

She has that certain something in her style,

 

certain 確かな、、(ある)一定の

style 様式、風(ふう)、流、(行動などの独特な)やり方、スタイル

 

ある、何か、でもそれは、確かな「何か」です。そして、彼女のスタイルに、それがあります。それが、小鳥たちをひきつけ、自分も魅かれるのです。

 

自動翻訳で、この行を見ると、

 

⇒彼女は彼女のスタイルにその特定の何かを持っています

 

その通りという事ですが、もう、自分の言葉で訳してはどうかという事なのです。彼女は、何か、特別なものがあって、それに魅かれるのです。それを、「彼女は何か特別なものを持っている」と訳して、歌っても、「その意味は?」と、聴く人に尋ねられるのですから、歌の短い時間に、まだるっこしい事を言わずに、思わせぶりみたいなことをしないで、人が理解できることを、それは、もう、みんな分かっている事なので、言えばよいのです。では、原詩の英語では、なぜそう言わなかったのかと言うと、それが、彼らの言い方だからです。というか、英語の文の辞書的訳で、我々には、歌としての意味が伝わらない、という事です。ここで、どうして、その訳ではいけないのか、という問題になりますが、それがつまり、辞書に沿った訳が歌の訳になるという事で済まないという所です。これは、今後の研究課題ではあります。

 

ということで、こうなりました。

 

 そのすがた、ひかれるこころ、

 

次の行も、少し、工夫が要ります。

 

She has a big bit of heaven in her smile.

 

a big bit of  少し(大きめ)の

heaven 天国

 

自動翻訳すると、

 

⇒彼女は笑顔で大きな天国を持っています

 

言おうとしている事は分かります。その笑顔に、とても幸せになるのです。文法的に、主語+述語の形で訳す必要はありません。だから、名詞止めで、行を作ります。「天国」は、「パラダイス」で、同じ意味です。それと、「a big bit of (少し(大きめ)の)」という言い方は、「天国」に遠慮してるのでしょうか、「big」という語が入っていますが、控えめで、歌う人の健全な常識を表わしています。それは、「ちょっとしたパラダイス」みたいな感じでしょうか。でも、そこまで、気を遣う必要はないと思いますので、はっきり歌い切ります。英語詩で少し控えめに表現したのは、きっと、彼らなりの事情があるのです。宗教がらみとも言えるので。もう、それは、ここでは深入りしなくてよいでしょう。だから、

 

 そのほほえみは、パラダイス

 

そして、歌は進みます。それを歌わずには居られない一層の進展があるのです。

 

She promised me that she'd say yes sir-e, 

 

promised 約束した

yes sir-e 「yes sir(はい、かしこまりました)」が、可愛く、勢い付いて言われているのです。彼女の言った、言葉なのです。

 

何を約束したかは、想像にお任せします。そして、それは、通常の肯定応答、あるいは、とにかく、前向きな対応を表わす態度ですね。歌っているのを聞くと、それは、「イエッサー」という、普通の言葉でなく、はっきり、「イエッサリー」と言っています。その勢いと、それを言う女の子の可愛さが伝わります。そして、それを訳詩にすると、そのまま使うしかないのです。それで、意味は、問題なく分かるのですから。英語との文化的な違いは、どうしても、日本語の辞書で訳し切れないものはあります。それは、特別に難しい言葉とかでなくて、こういう、不意に口をついて出る言葉である場合はあり得ます。なので、次の様になりました。

 

 やくそくの、こたえは「イエッサリー」

 

それは、次の行で、自分にどう聞こえたかが言われます。

 

That's good enough for me,

 

enough 十分に

 

これを、自動翻訳すると、

 

⇒それで十分です

 

そうでしょうけど、何がどうなのか、日本語では、詳しく説明して、聴く人に分かってもらう必要があります。我々には、「イエッサリー」さえ、どの程度の事なのか、はっきり分かっていないのですから、ここで、思いっ切り訳し切って、この気持ちを共有しましょう。というわけで、

 

 うれしい、ときめき

 

です。それ以外に何もないですね。

 

最後は、この女の子の名前を叫んで、終わります。最高潮です。

 

Sweet Jenny Lee
 スウィート・ジェニー・リー

 

(instrumental)

 

-完-

 

(余白残興)

 2022.2.15記:

 

1930年、もう、米国の経済大混乱にはなっていますが、前の大戦の勝利の余韻もあり、その楽しかった記憶も残っていて、そして、この後の、大変な次の戦争も、まだ少し先でした。緩い時間が流れているらしく、特に、この時期の若い子たちは、何も心配していないようです。

 

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