☆BTE 2021-12-19記
Love letters in the sand:

 

この歌は、1931年の歌ですが、Wikipediaを見ると、1881年の「The Spanish Cavalier」という歌に触発されて出来た、というような事が書いてありました。そう言われると、メロディーの芯になる所が、妙に感心してしまうのも、その長い歴史の艶があるのかも知れません。

 

砂に書く文字、という誰しもの思い出にある遊びと、書かれた文字が、「L」、「O」、「V」、「E」で、などという、少し大人びた懐かしさとが、人を、ふと、黙らせる、詩です。

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Love letters in the sand (1931)

Written by charles kenny, nick kenny and j. fred coots


「Love letters in the sand」英語詩:

曲名:すなにきえたあい

美艇香津 訳詩

 

On a day like today
 あのひ、わたしたち
We pass the time away
 ときをわすれて
Writing love letters in the sand
 すなにかいたあいのもじ

 

How you laughed when i cried
 わらうあなた、わたしはないた
Each time i saw the tide
 なみがすなの
Take our love letters from the sand
 もじをけすたび

 

You made a vow that you
 あなたがちかう
Would always be true
 えいえんのあい
But somehow, that vow
 でも、それは
Meant nothing to you
 なにもない、いまは

 

Now my poor heart just aches
 つらいこころ、いたむだけ
With ev'ry wave that breaks
 なみがくだける
Over love letters in the sand
 あいのもじのうえ

 

(repeat last two verses)

 

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さっそく、1行目ですが、...。

 

On a day like today
 あのひ、わたしたち

 

この行は、「今日のような、ある日」、と訳せます。それは、その通りで、訳して歌うという事はできそうです。ただ、2行目を一緒に見てから、ここで言おうとしている内容が分かるのです。

 

2行目は、


We pass the time away
 ときをわすれて

 

「私たちは、時を過ごした」ですね。時の経つのも忘れて、というニュアンスがあります。念の為、パソコンの自動翻訳で見ると、

 

⇒私達は時間を過ごす

 

淡々とした、事実の記述であるようです。それでは、歌として、何か、足りませんね。この2行目は、その意味を、読み込み、読み取ります。だから、「忘れて」とは、英文の中の語としては、ありませんが、

 

 ときをわすれて

 

そして、1行目を振り返ると、「今日のような、ある日」と、淡々としているよりは、ある思い出が、強く意識されていることを言いたくなります。書けているのは、「私たち」が過ごした、その、特別な日々の事なのです。言葉に、その思い入れと、気持を、埋め込みたいのです。だから、

 

 あのひ、わたしたち

 

なのです。そして、「今日のような」の箇所は、訳からはずします。なぜかというと、この言葉は、この後の歌の進みで分かるのですが、ただ単に、「昨日のような、今日がある」というのとは違うからです。「今日のような」という言葉には、もう、いろいろな思いが重なっていて、一言で言えないような事になっているのです。むしろ、何も言わないでいる方がいいのです。英語では、「like today」という、言っても、言わなくてもよい言葉を割り振っています。1日は、昨日も、今日も、日が昇り、沈む、同じ1日だからです。この部分の音符に從って、この後の歌に、滑って行くだけです。だから、日本語では、「わたしたち」と、分かり切った、言っても言わなくてもよい言葉を、音符に乗せて置だけです。

 

そして、次の行で、その思い出が語られます。


Writing love letters in the sand
 すなにかいたあいのもじ

 

 love letters  LOVEの文字

 

砂に書く「LOVE」の文字です。海辺で遊ぶ2人が、楽しそうです。日本語では、「ラブのもじ」と言ったら、何の事か迷いますし、「エルオーブイイー(のもじ)」などとも言えません。英語のスペルを言われたら、それは、その意味ではなくて、ただ、英語のテストの事を思い起こさせるだけです。「あいのもじ」という事で、少し曖昧な所がありますが、よいのだと思います。

 

そして、次の連になって、より詳しい事情が知らされます。

 

How you laughed when i cried
 わらうあなた、わたしはないた

 

 How you laughed  どんなに笑ったか

 

「laughed」の笑いは、ゲラゲラ笑うところまで行きますね。

 

それは、次の2行で、その時の有様を説明しています。

 

Each time i saw the tide
 なみがすなの
Take our love letters from the sand
 もじをけすたび

 

 Eachtime  ...の度に

 tide  潮

 

「潮」と言いますが、それは、目の前で打ち寄せる波です。「tide」も、その積りなのだろうと思います。科学的な、「潮」、の働きをどうこう言っているわけではありません。そして、それが、砂に書かれた、「L」、「O」、「V」、「E」の文字を、消して行くのです。「Take」と言っています。辞書で見たら、「Take」に、「消す」の意味はない、などとは言って欲しくないですね。それだと、「取る」とか、「取って行く」、「運び出す」、「連れて行く」などが妥当な訳語だ、などという事になります。

 

「へ~っ」、そんな事があったんだ、と分かります。そして、波が、砂に書いた文字を消し去って行くのを見て、あなたは泣いているのに、一方は、大笑いしている様子が、遠くからは楽しそうに見えても、近くでは、何か、感じ取り始めます。それが、杞憂であればよいのですが、というような事ですね。

 

そして、次の連に入ります。始めの2行で起きたことが語られます。

 

You made a vow that you
 あなたがちかう
Would always be true
 えいえんのあい

 

 vow  誓い

 

その「誓い」は、あなたが、いつでも、いつまでも、それに対して、真実であると言うのです。「それ」というのは、この行にその言葉はありませんが、「love(愛)」です。あるいは、ここまでに、すでに出て来た、砂に書いた「love」の文字に対してでしょうか。

 

もう、文は、過去形で言われています。そんな事があったのです。将来もずっと、そう言った、その言葉は過去に言われた事なので、「would」で記述されます。

 

また、原文は、主語+述語の、文ですが、訳は名詞化表現になりました。翻訳において、文構造の変化は、ありうる事、と言うしかありません。また、過去形の原文に対して、訳は、日本語の現在形になりました。これも、もう、聴く人は過去の事と分かっているので、こういう記述方法は、ありです。英語では、はっきり過去形なのに、日本語だと、現在形表記でよいとはどういう事、という疑問も出て来るかも知れませんが、それは学問的課題と言う事にして置きます。

 

そして、さらに、その後が語られます。

 

But somehow, that vow
 でも、それは

 

 somehow  何とかして、どういうわけか

 

「somehow」って、訳そうとすると訳しづらいですね。「何だかんだ言っても」というところでしょうか。あの「誓い」が、です。その「誓い」も、言葉にして、わざわざ、「ちかい」と言うまでもありません。今は、もう、ないのですから。

 

Meant nothing to you
 なにもない、いまは

 

パソコンの自動翻訳で見ると、

 

⇒あなたには何の意味もありません

 

「あなたには」とか、「何の意味も」とか、丁寧に説明する必要もありません。もう、なくなっているものなのですから。ただ、何もない、と言うだけです。

 

そして、この歌の、最後の連です。この歌のテーマが、はっきりと伝えられます。

 

Now my poor heart just aches
 つらいこころ、いたむだけ

 

 ache  痛む

 

心が痛みます。

 

そして、目の前に、波があり、「L」「O」「V」「E」の文字を砂に書いた事を思い出します。

そして、やはり、当たり前の様に、波は、砂に書いた文字を消し去って行くのです。


With ev'ry wave that breaks
 なみがくだける
Over love letters in the sand
 あいのもじのうえ

 

 

-完-

 

(余白残興)

 2021.12.19記:

 

戦争前に歌われていた歌を、戦後、戦勝国として、明るい気持ちで歌ったときは、また、いっそう、しんみりしたり、ほっとしたりの、複雑な気持ちがあったのではないでしょうか。

 

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