菅野直(かんの なおし)を御存じ? | ウッドデッキDIY☆MCヨッチャンのBlogⅡ

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究極のDIYって多分、人生を送る事!

MCヨッチャンです。

イイ男ですねぇ。

ハンサムですねぇ。

彼の名は菅野直(かんのなおし)と呼びます。

1921年10月13日生まれ。

私と同じ月に生まれた元海軍パイロットです。

幼少の頃から優秀で学業はトップクラス。

そして喧嘩も強い。

しかし明るく、パイロット時代は部下を

殴った事は一度も無いという優しさも

持ち合わせていました。

我々男子から見れば正に理想の漢ですね。

1942年少尉任官を受け、

飛行学生時代から「デストロイヤー」という

あだ名がつくほど飛行機の壊し屋さんでした。

戦闘機乗りとしての腕前、技術は私の知る限り

日本のトップ数人の中の一人

だろうと思います。

或る時期、特攻機の直援機として部下と共に

飛行する任務を受けていた頃、

特攻で散って行く事の憂い話をしながら

酒を呑み騒いでいたところを部隊の上官から

「やかましい」

と叱られた時

菅野さんは

「明日の命も分からない搭乗員に向かって

 何を言うか」

と一括して上官を黙らせたという部下思い。

そして敵艦に突っ込む特攻機の直援機として

出撃する際は、我々も特攻のつもりで行くから

落下傘の着用を禁じるとして自らも

そして部下にも落下傘の着用をさせなかった

という話も聞きます。

これは人情話だけではなく

落下傘を着けなければその分、軽くなるので

飛行性能は若干ではあるけれど上がるのかな?

それと、撃墜されたら下は海なので

確実に死ぬわけですから特攻の仲間への

せめてもの覚悟と言う事かな。

紫電改に乗り、

米軍からもターゲットにされた菅野さん。

1945年8月に戦死しました。

若干23歳でした。

23歳で国の未来をかけて

あのアメリカ相手に存分に戦った若者でした。

文学に精通していたという面も持つ

菅野さん。

出来る事ならば

会ってみたかったなと思います。

今、彼が23歳で私が還暦の爺い。

そんな彼は私を見て何と言うだろうか。

きっと、

「頼んだよ、日本」

って言うのかな?