ナカジマの最高傑作エンジン「誉」を御存じ? | ウッドデッキDIY☆MCヨッチャンのBlogⅡ

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究極のDIYって多分、人生を送る事!

MCヨッチャンです。

ハ45発動機、「誉」ですね。

製作はかつての中島飛行機で、

日本を代表する航空機メーカーでした。

現在のSUBARU及び日産自動車は

この中島飛行機から派生した企業です。

その他、中島飛行機由来の企業として

THKリズム

輸送機工業

マキタ

などなど沢山ありますが我が地元、

愛知県半田市にも大きな工場が有りました。

で、

この「誉」エンジンは大戦中日本が

開発し、実戦投入した

唯一の2000馬力級エンジン。

設計者は中川良一さん。

後の日産の専務を務めた方だそうですが

天才ですよね。

技術者が専務って凄いと思う。

若干27歳でこのエンジンを開発し

たんですって。

今の日本にそんな人居る?

「技術の日産」ってゴロが良いから言っている

のではなく元々は国家を守る航空機と

エンジンを作っていたからなんですね。

この横顔は陸軍四式戦闘機「疾風」。

この機体も誉エンジンを搭載していました。

「大東亜決戦機」として活躍しました。

当時としては先進的な発想と技術を

盛り込んだ日本最速の戦闘機でした。

この時代、日本には非常に優れた

飛行機設計技師が多く存在しました。

この誉エンジンは中川さん、

陸軍三式戦闘機「飛燕」は土井さん。

彼は戦後も技師として、

そして教師としても活躍して

名古屋大学では工学部、

更に名城大学では理工学部で教壇に立ち、

なんと、私の上司は土井先生の教え子でした。

三菱の堀越さんはゼロ戦を設計。

私、中学生の時に彼に会いに行こうと思って

名古屋市港区の三菱重工大江工場まで

出向いてお願いした経験がありますが

その願いは叶わず。。

逆に学校さぼって行ったので

担当の職員さんに叱られましたが。。。

こちらは日本海軍の「紫電改」

以前、343空のお話で紹介しましたね。

スマートな機体でシルエットが美しいとされる

ゼロ戦とはかけ離れた力強さを感じますね。

それもやはり2000馬力エンジンの為せる業ですね。

ゼロ戦は開発当時としてはおそらく世界最強の

ファイターだったと思いますがその優位性が

確保できたのは大戦初期の頃まででした。

そして当時は練度の高い搭乗員が沢山

活躍していた事もゼロ戦の強みでしたね。

で、

ゼロ戦の発動機は中島製の空冷星形14気筒、

27,860CCのエンジンで公称1000馬力でした。

今は亡き、「大空のサムライ」で有名な

坂井三郎氏は生前このように語って居られました。

「零戦を操縦する時は両手の先は翼の翼端、

そしてエンジンは自分のオデコ。

そう言う感覚で自由自在に操る事が出来るのが

零戦でした。

そして一度相手の後ろに取り付いたら絶対に

離される事は無い」

と。

しかし実際は米軍の2000馬力級戦闘機の

機銃弾の多さと快速性には脱帽だったと。

なので所詮、1000馬力の飛行機は

1000馬力しか無いのだと自覚して

操縦していたとも。

私が若き頃、横須賀航空隊でゼロ戦を操縦して

本土防空の戦いをしていた方とお話しする

機会がありました。

名古屋市中村区の喫茶店のマスターを

されていましたが彼曰く、

「昭和20年の頃はベテランのパイロットも

少なくなって下手くそなパイロットが出撃する

度に心の中で(逃げろ逃げろ!)って言っていた。

私達のような中堅の搭乗員でも

B29の前にやって来るアメリカの戦闘機から

逃げ回るのが精いっぱいだった」と。

そしてそのマスターは最後に

「みんな若い連中は泣きながら飛んでたよ」

とも仰った。

それが現実だと。

「特にあの巨大なB29爆撃機は零戦よりも

早くて追いつかない」と。

そして

「弾は撃ちながら突っ込んで行くんだけど

アメリカの飛行機は弾が当たっても

なかなか火を噴かない」

とも仰っていました。

それはやはり高馬力エンジンの余裕が

充分な防弾装備を可能とするという事です。

 

しかし馬力の小さなエンジン搭載の戦闘機は

どうしても機体を軽くする必要があります。

機体が軽いという事は本来搭乗員の命を

守るべき装備が不可能になるという事です。

零式艦上戦闘機。

大戦初期は正に無敵でしたが

アメリカは既に2000馬力エンジン搭載の

戦闘機が実用段階に入っており

それらの新型戦闘機の前では

ゼロ戦の劣勢は次第に色濃くなって行きました。

それにしても美しい機体ですよね。

そして中島は14気筒だった「栄」エンジン開発の後、

18気筒エンジンの「誉」を開発したわけです。

「栄」エンジンは1列7気筒を円周状に配置し、

それを前後2列にして14気筒としましたが

「誉」は前後2列それぞれに更に2気筒、

計4気筒を増やす事で18気筒としました。

文字にしてしまえば簡単なのですが

金属の話、鋳造技術の話、

熱処理等の事など、技術的には

当時としては限界に挑戦したものでした。

更に1気筒で100馬力を実現する事に

拘りハイオクタンガソリンを使用する事を

前提で1800馬力のエンジンを完成させた

と言う事ですね。

排気量は「栄」の27.86リットルに対して

「誉」は35.8リットルとなり、排気量こそ

大幅に増大しましたがエンジン直径は

「栄」の1150ミリに対して

「誉」は1180ミリと小型。

その分、製作技術は当時の日本の

レベルの限界だったのでしょうね。

要するにあの時代は現代のように

NC装置も無い、汎用機での加工が全て

であり今のようなCAD/CAMも無い。

従って全て手計算による数値の導きでした。

更に今のような優秀な工具も無い。

特に角度振りの穴あけやボーリング

等は名人芸に近かったのではないか。

そして100オクタンのガソリンも無い。

なので本来の性能を発揮する事は

困難だった訳です。

ちなみに航空機のレシプロエンジンと車の

エンジンとの差ですが、

この「誉」は35.8Lで18気筒です。

と言う事は1気筒で2000CCエンジン

1個分です。

車のエンジンって大抵の場合、

2000CCならば4気筒ですよね

そう言った見方をするのも

面白いかなと思います。

さて、このハ45エンジン搭載機の

「疾風」と「紫電改」ですが

戦後、

米軍がエンジンを正しく整備し、

燃料も良質のハイオクタンを使用して

飛行テストを行った結果、

日本の戦闘機の中で最も優れた機体の

一つであり、米軍の戦闘機にも

劣ることは無い優秀な飛行機だと

判定されました。

(そう信じてる)

それもこれも

「誉」エンジン有っての事です。

NHKで再び

「新プロジェクトX~挑戦者たち~」の放送が

始まりましたが是非とも

この中島飛行機の技術者たちを

特集して欲しいなと思います。

3万CCのエンジン音って

どんなだろう?

中学生の時に小牧基地で

ゼロ戦のエンジン音を聞いた事は

有りますがそれは乾いた重低音でした。

しかし

「誉」の音はどんなだろう?

聞いてみたいな。