色々な出来事が起こります。
今は目覚めの時代、とも言われています。資本主義が伸び悩んでもう既に30年経ったそうです。
個人の利益を追求することで、結果として全体が豊かになるという理念の資本主義は、そのシステムの性質上、既に格差社会という暴走状態に突入しています。
今日よりは明日、明日よりはその先の未来を良くしようと、生産性を上げ、"今"を犠牲にして頑張るという、結果指向は何処にも辿り着かないと、良い加減、多くの人が気づき出したのかもしれません。
エゴは"今"に居れません。無我夢中に何かに没頭している時、文字通り私(エゴ)はいないですよね。
だからこそ、エゴは未来のことを憂いたり、過去のことをアレコレ考えたりしようと必死です。
エゴにとっては否定的なことだろうと何だろうと"今"さえ外していれば安泰なのです。
人は一日に6万回も思考し、その内の8割は昨日と同じことを考えてるそうです。
まるで残像のように、実体を装っているようです。
そしてエゴは問題を作り出します。問題があれば"今"に落ち着くなんてことはしなくて済むからです。
つまり問題だと思っていることは、エゴが作り出していて、エゴがない時、問題は消えてなくなります。
エゴは分離して自立していると思い込んでいる、言葉や概念でプログラムされた生存本能のソフトウェアのようなものです。
エゴは"恐れ"です。エゴは本当の自己ではありません。
エゴの土台はグチャグチャで幻です。幻の土台の上に完璧な理論を構築しているのです。
問題を作り出すことで、様々な進歩や発明があったことは確かです。
現実世界で快適な生活を送るには問題を見て対処していく必要は確かにあると思います。
ただそれ(エゴ)は便利な道具として使うもので、主人として君臨するものではありません。
エゴは常にマウントを取りたがります。
だからこそ問題に対して深刻になる必要はなく、
我々の本当の自己は全体(wholeness)なのだと自覚すると、エゴは、可愛いアホな自分の側面くらいに捉えられるのかもしれません。
そう思えれば、むかつくアイツも、全体の一部で、ただ可愛いアホなエゴ、つまり分離している欠乏感や罪悪感を鏡として投影しているだけ。
金銭的な悩みも、エゴが欠乏を叫んでいたり、根拠はないけど、ただ漠然と蓄えておくと安心な気がするだけ。目覚めの為に必要なプロセスなのかもしれない。
と、俯瞰的にエゴに同化することなく、現実に取り込まれて埋没することなく、気づき、
"今"に落ち着けるのだと思います。
全ての出来事を"今"に落ち着く為の原因、気づきにすることが出来る。
考え方を変えるという思考論ではなく、文字通り根こそぎ問題が問題じゃなくなります。
そして"今"とは、全体(wholeness)であり、全体しかない、ということは、無条件の愛です。
そんな無条件の愛を選ぶことが、何よりの世界貢献であり、資本主義の先にある世界だと思います。
まず、あなたご自身が、あなた自身に無条件の愛と敬意を。
そのために、日々、その時その時、あるがままの"今"を受け入れる。
そんな身近なことから、あなたの平和が、そして世界の平和が起こっていくのだと思います。
そして、日々、喜びは色んな形で訪れていることに気づけるようになるのだと思います。
それは必ずしも資本主義や社会的な物差しで測れるような幸せや喜びではないかもしれません。
しかし世界に平和を広げれば広げる程、他者に与えれば与える程、幸せや喜びの受け取る量は増していきます。
大切なことは、現実世界の問題に深刻になるのではなく、"今"目の前の現実で、あなた自身が平和を体現していく、という意志を持つことにあります。結果として、平和は広がり、喜びは増していきます。
その時その時、場面場面で、この意志を持つ選択に全てかかっているのです。
読んで頂きありがとうございます。
慈愛を込めて。