テヒョン

 

22年 6/25 

 

 

わざと歩幅を遅くして、俺の後ろをつけてくる小さな気配に耳を傾けた。

コンビニでぶつかったのは今日で三回目だった。

変わったことがあったとしたら、今日は俺を見るなり飛び出して行ってしまったことだ。

そして、コンビニの後方にある空き地でぶらぶらしていたみたいだけど、俺を見てまた姿を隠したようだ。

自分としては隠れているつもりなんだろうけど、影が空き地の前まで長く伸びていた。

くすっと笑った。

見なかったことにして歩き始めたら、俺の後をついて来始めた。

細い路地に入り込んだ。この町で外灯が壊れてない所は、ここだけだった。路地は長くて外灯は中間あたりに位置していた。光りが前にある時、影は後ろに出来る。

だから、今俺の影は俺の後ろに長く伸びているだろう。

もしかすると息を殺してついてきている気配の足元まで届いているかもしれない。

間もなくして外灯のすぐ下に着いたら、影は俺の足の下に隠れた。

俺はもう少しだけ歩みを早めて歩き始めた。外灯を背にすると、影はすぐに俺を先越し始めた。

そうしたら程なくして俺のじゃない影が一つ埃立つセメント道路に現れた。

俺が歩くのを止めたら、気配も立ち止まった。

背の高さが違う影が二つ並んで立ち止まった。

俺は言った。

「ここに来るまで待つ。」

影の主はとんでもないとでも言うかのように驚いたようだ。そうして、自分はそこにはいなかったという様に息を殺した。

「全部見えてるよ。」

俺は影を指差した。

間もなくしてわざとコツコツと足音を立てながら、近づいて来始めた。

思わず笑いが溢れた。

 

 

 

 

承 p11

10年 12/29

 

 

そのまま靴を脱いでカバンを放り投げて、奥の部屋に入って行った。

本当にお父さんがいた。

いつぶりだったかとか、どこに行っていたのかとか、そんな考えなんてなかった。

何も考えず、お父さんの胸に飛び込んだ。その次のことはよく覚えていない。

酒の臭いが先だったのか、罵られたのが先だったのか、頬を殴られたのが先だったのか、何が起こっているのか分からなかった。

酒の臭いがして、荒い息遣いと口臭がした。目は血走って、ヒゲが無造作に伸びっぱなしになっていた。

とても大きい手で頬を殴られた。

「何見てんだよ」とでも言うように、また頬を殴られた。そして、そのまま僕を空中に持ち上げた。

真っ赤な目が怖かったけど、あまりにも恐くて泣くことすら出来なかった。

お父さんじゃなかった。

いや、確かにお父さんだった。

だけど、違った。

両腕が宙で揺れ動いた。

次の瞬間、壁に頭を強くぶつけた後、床に倒れるように崩れ落ちた。

頭が割れるようだ。

視界が霞んできて、間もなくして真っ暗になった。

喘ぐようなお父さんの息遣いだけが、頭の中に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

承 p12

 

22年 5/22 

 

 

ヒョンが電話を受けながら来た道を戻って行くのを見たのは、森を過ぎた時だった。

最近になってそんな出来事が多くなっていた。

他の人たちに聞かれないように遠く離れて電話をした。

僕はわざと歩みを遅くして海の方へと身を隠した。ヒョンは僕に気づかずに通り過ぎて行った。

 

「俺よりも1歳だけ年下なだけじゃないですか。 いや、俺も特別気にはならないです。 どうせ俺が責任を取ってやることもできないし、自分で何とかするでしょう。」

 

何か冷たい物が背中を伝って行った。

この世の全てがガシャンと崩れて行くようだった。恐ろしくて怖かった。

哀れで惨めだった。

苛立った。

苛立って我慢できなかった。

何でも良いから、悪い事をしでかしてやりたかった。壊して叩いてめちゃくちゃになってしまいたかった。

 

いつも怖かった。

僕にも父さんの血が流れていた。内側には暴力的なところがあるかもしれないと思った。

何かが、しっかりと閉じていた防御膜を破って出て来るようだった。

 

 

 

 

 

承 V p12

 

 

 

 

 

 

20年 3/20

 

僕は廊下で滑って転んだ。

僕の足が騒がしい音を出した。

それから僕は立ち止まった。

「僕達の教室」の前にナムジュ二ヒョンが立っているのが見えた。

「僕達の教室」、誰も知らない場所。僕達はその場所を「僕達の教室」と呼んでいた。僕とヒョン達とジョングク、それは僕達のものだった。

僕は息を止めて近づいた。僕は彼らを驚かせるつもりだった。

あと5歩という時に、教室の開いている窓から突然「校長先生」という声が聞こえてきた。ソクジンヒョンのようだった。僕は歩くのを止めた。

ソクジンヒョン今何を話していたのですか?

僕達の教室でなぜですか?

僕の名前とユンギヒョンの事が聞こえて、ナムジュニヒョンが驚いて息を呑んだのが分かった。それを感知したかのように、ソクジンヒョンは突然ドアを開けた。

ソクジンヒョンの手には携帯電話があった。

ヒョンのショックと混乱は、ヒョンの顔からはっきり伝わってきた。

ナムジュニヒョンの顔を見る事が出来なかった。

僕は隠れて見ていた。ソクジンヒョンは混乱して見えた。

「ヒョンには理由があったに違いありません」

そう話した後、ナムジュニヒョンはソクジンヒョンを通り過ぎて教室に入っていった。

 

僕はそれを信じられなかった。

ソクジンヒョンは、ここ数日、ユンギヒョンと僕がやった事を校長先生に話した。クラスから飛び出して、壁を乗り越えて他の奴とふざけあったりした話だとか、全てを語った。だけど、ナムジュニヒョンは大丈夫だと言った。

「ここで何してるの?」

ホソギヒョンとジミンだった。

ホソギヒョンはさらに衝撃を受けたふりをして、腕を僕の肩の上に乗せた。混乱の瞬間に、ホソギヒョンが僕をその教室に連れていこうとした。ナムジュニヒョンとソクジンヒョンが話をしていて、そして、彼らを見上げた。ソクジンヒョンは突然起きて何かが起こったといった。ヒョンは教室を出ていった。

僕はナムジュニヒョンの表情を見た。ヒョンはソクジンヒョンの後ろ姿を見ていた。しかし、その時まるで何も間違っていなかったようにヒョンは笑った。その瞬間、僕には考えが浮かんだ。ナムジュニヒョンには理由があったに違いない。ヒョンは僕より多くの事を知っていて、よりスマートで年上だったから。

そして、ここは僕達の教室だったので僕は愚か者を笑ってる教室に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20年 5/20

 

 

手を見ると血がついていた。

突然足の力が抜けて、座り込もうとしたら誰かが後から抱きしめてきた。

窓からぼやけた日差しが入ってきた。

お姉さんが泣いていて、ホソギヒョンは無言で立っていた。

汚い家具や布団がいつものように散らばっていた。父親が立っていた場所には誰もいなかった。いつどうやって部屋を抜け出したか浮かび上がらなかった。父親に向かって飛びかかった瞬間の耐える事の出来ない怒りと悲しみは、僕の中にそっくりそのまま残っていた。父親を刺そうとした瞬間、僕を自制させたのが何なのか僕自身も分からなくて、及ぼすような心をどのように慰めたらいいのかも分からなかった。

父親を殺すのではなく、僕が死にたかった。そんな事ができたならば、この瞬間にでも死んでしまいたかった。涙もでなかった。泣きたいのに、大声を出したいのに、足で蹴って全てをぶっ壊してしまいたいのに、どれ一つどうする事も出来なかった。

ヒョンごめんなさい。僕は大丈夫だから。だと。及ぼすような心とは違って、乾いたようにでた僕の声みたいだった。なかなかその場を離れようとしないヒョンを送ろうと手の平を見下ろすと、白い包帯の上に血が滲み出ていた。父親を刺す代わりに酒ビンを床に打ち粉々になって手の平が裂けた。

目を閉じる。

世界がグルグルと回った。何を考えるべきか、どうすれば良いか、どうやって暮らすか。我に返って見たら、ナムジュニヒョンの電話番号を見下ろしていた。この状況に至ったらもっとヒョンの存在が切実だった。ヒョンに話したかった。

ヒョン、僕は、僕を生んでくれた父親を、僕を毎日犬を殴るように殴る父親を殺すところでした。本当に殺すところでした。

いや、実際に殺した。心の中で計り知れないほど殺した。殺したい。死んでしまいたい。今どのようすればいいのか、何も分からない。ヒョンにただ会いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 7/7

 

 

僕の側面は引き裂ける程の傷で酷く痛んだ。汗が滴り落ちた。

コンビニ、高架下、空き地、鉄道を隅々まで探したけど彼女は何処にもいなかった。

僕はバス停まで走ったが、予想通り彼女はいなかった。バスを待っている人達は僕を奇妙に見ていた。

何があったのか。僕達は会う約束はしていなかったが、何だか変だった。

彼女はいつも何処から現れては僕の周りを追いかけてきた。迷惑だと言っても彼女は聞く耳を持たなかった。しかし、今は彼女と一緒に行った場所さえ彼女の姿を見つける事は出来なかった。

僕は見慣れた壁に来て目の前なのに歩みが遅れた。僕達が一緒に書いた落書きが残っていた。彼女が描いた最初のものだった。その上に大きく『 X 』と書かれていた。それを書いたのは彼女だった。僕は、彼女がそれを書く姿を見てなかったけれど知っていた。「どうして書いたの?」その問に返答は無かった。その代わりに、いくつかの残像が壁に重なった。僕が線路に横になって頭を打った後、そんな僕を見て彼女は笑っていた。窓の中に家族の写真が飾ってある写真スタジオの前を通り過ぎようとしたその時、僕は怒っている彼女の表情を見た。通り過ぎる学生達、僕も気付かない内に重なっていた視線。彼女も気づいていなかった。僕はこの壁に一緒にスプレーで書きながら話した。「辛い事があるなら気にせずに僕に言ってくれ」

『 X 』はそれら全ての思い出を書いた。それは、全てが偽物だと言っているように思えた。思わず拳に力が入った。何故だろうか。もちろん返答は無かった。

僕は歩き続けた。僕達はもう一人だった。僕も彼女も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 3/29

 

 

ガソリンスタンドの社長が床に唾を吐き捨て立ち去った。床にしゃがみ込んだまま横たわっていた。ガソリンスタンドの後ろの壁にグラフティをしていると、社長に気づかれ他人の壁に何をやっているんだと殴られた。床をごろごろと転がった。殴られるのは慣れたことなのに、慣れないことでもあった。

グラフティを始めたのは少し前の事だった。誰かが捨てたスプレーを壁にかけてみた。黄色だったようだ。ただ適当にふりかけておいて見上げた。灰色の壁に鮮やかな黄色の見た後に、別のスプレーを持ち上げた。しばらくして僕にも分からない心を壁に振り撒いた。全てのスプレー缶を空っぽにしてから、ようやく手を止めた。

缶を投げ後ろに退がった。全力疾走をしたかのように息がきれた。壁の上の色が何を意味するかについては知ることが出来なかった。何をしていたか、なぜどうしてなのかさえ分かない。ただ一つ、それが僕の心というのは推測する事が出来た。僕は自分自身の心を壁の上に吹きかけたみたいだった。

最初は憎いと思った。汚いとも思った。アホらしいと、無駄だと、可哀想だと思ったりもした。気に入らなかった。手の平で生乾きのペンキをこすり続けた。もう消してしまいたかった。ペイントが消される代わりに、他の色が塗り潰されて、他の形で塗り替えた。その壁に寄りかかって座った。気に入ってはいないという問題ではなかった。美しくないという問題ではなかった。ただそれは僕だった。体を起こすと咳が出た。口の中が切れたのか、手の平に血が飛び散った。そして誰かの手がスプレー缶を手に取るのが見えた。その手に沿って見上げていくと、顔が見えた。

ナムジュニヒョンだった。くっくっと笑った。幻実が見えたと思った。ヒョンが差し伸べた手を僕はただ見上げた。ヒョンが僕の手を引いて起こした。その手が温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 5/5 

 

 

「ヒョン、それが全てですか?僕達に隠している事はありませんか?」

周囲が一気に静かになった。皆の視線が僕に向かった。僕はソクジンヒョンを真っ直ぐに睨みつけた。ヒョンも僕を睨んだ。その視線に少しの疲れと困惑と、切なさのようなものが滲み出ていた。僕がもう一度殴ろうとした瞬間、誰かが腕を掴んできた。振り返らなくても分かった。ナムジュニヒョンだった。

「ヒョンに何の関係があるんですか?実の弟でも無いのに。」

ナムジュニヒョンが僕に視線を感じた。頭を回さずヒョンの腕を振り払った。僕は分かっていた。僕は今ナムジュニヒョンに余計に腹が立っていた。ヒョンが誰かとの電話で言っていた言葉をそのまま繰り返しながら、「今の僕は腹が立っている」 「あまりにも残念だ」と話していた。ヒョンの言葉に間違えは無かった。僕はヒョンよりわずか1歳しか変わらなかった。実の弟でも無かった。僕のことは僕が知らなければならない必要がある事が正しかった。だけど寂しかった。反論すら出来ないことがもっと腹ただしかった。このような僕の心をヒョンが理解してくれる事を願った。

「テヒョン、僕が悪かった。この話はもう終わりにしよう」

そう口を開いたのはソクジンヒョンだった。テヒョンと名前を呼んだのも、すまなかったと言ったのもソクジンヒョンだった。ナムジュニヒョンは何も言わなかった。

何をやめるのか、話しが出たついでに話そう。

「ヒョンが僕達に隠している事があるんじゃないんですか?」

「外に出て話そう。」

 ナムジュニヒョンが再び腕を掴みながら言った。僕は今回も腕を振り払ったが、ヒョンは手に力を入れて、僕を引っ張ろうとした。僕は抵抗しながら言った。

「放っておいて下さい。ヒョンが何の権利があって僕を止めるんですか?ヒョンに何がわかるんですか?何も知らないくせにヒョンはヒョンが何かすごい人だとでも思っているんですか?」

その時だった。ヒョンが手を放した。その反動で、僕はグラグラとつまずいた。いや、グラグラというのは反動では無かった。ヒョンが腕を放したとたん、輪の中がぷつんと切れたみたいだった。僕を支えてくれていた全ての事にヒビが入り割れて崩壊していくようだった。

もしかしたら、僕はヒョンが最後まで腕を放さない事を望んでいたのかもしれない。怒鳴って引っ張り出してくれる。まるで実の弟にするように、あまりにも近くて大切で引き下がる事が出来たいように、僕をもっと叱って欲しかったと望んでいたのかも知れない。ところがヒョンは腕を放した。ただ笑いがでた。

一緒にいることが何でそんなに凄いことなんだよ。僕達お互いが何だって言うんだ。結局、皆独りぼっちじゃないか。ソクジンヒョンが僕を殴ったのはその瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

22年 8/11

 

 

歩みを変えようと全部X字の下の小さな文字を発見した。誰かの壁を傷付けて書いておいた「君のせいではない」という短い文書だった。その女の子を直接見たこともなく、その子の字体を知っているわけでも無い事を知ることが出来た。最後の挨拶だった。僕が去るのは君の為。君に起きた多くのことも君が悪い人ではないと。だから自分を責めたり、苦しんだりしないように勇気を出せと言うように見えた。

気がつくと、いつの間にか家の前だった。ドアの向こうから姉の悲鳴が聞こえてきた。ガラッとドアを開けて入った。見慣れた風景が広がっていた。僕は父を遮る為に立った。腕を掴み、顔を真っ直ぐ見つめた。父は、最初は驚いたようだったが直ぐに拳を振り回した。僕は何度も倒れた。姉の泣き声はさらに大きくなった。アゴが痛み、口の中は錆びた鉄の匂いがした。それでも諦めずにはいられなかった。父の腰に纏わりついた。父が怒鳴っている声で叫んだ。背中に無慈悲なパンチが殺到したが、尚更より丈夫に父を掴んだが痛くないことは無かった。怖くないことも無かった。それ以上に、僕がまた手を離してしまったら、また同じ日常が繰り返される。変わってほしいと。変えたかった、嫌だ。僕は父とは違う。僕の家族は僕が守る。