須賀貴匡氏 トークショー&サイン会 | ブログやめようぜ

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スーパーフェスティバル82、須賀貴匡(すが・たかまさ)さんトークショー&サイン会。その前に今までのあらすじ、、、2014年9月28日スーパーフェスティバル66の映画「ヌイグルマーZ」ブルーレイ&DVD発売記念のトークショー&サイン会に須賀貴匡さんは出演しました。(ただし、当初は須賀さんがゲストとして出演する予定はありませんでした)最後のフォトセッションで平成仮面ライダーシリーズのアクション監督宮崎剛氏が龍騎のポーズをとって、みんなでこのポーズをやろうみたいになったのですが、須賀さんは明らかにやる気がないポーズでした。⬇その後のサイン会では帽子を深くかぶって下を向いた状態でサインをして極力、お客さんと交流したくない雰囲気でした。須賀さんがこういった行動とったのには、きっと何か深い考えか、理由があったのでしょうが、、、(⬅これは5年前の話です)


、、、そして、5年後、2019年9月22日のスーパーフェスティバル82トークショー。須賀貴匡(すが・たかまさ)さんが役者になろうと思ったきっかけは?、、、須賀さん「十代の頃、映画少年で、岩井俊二監督のスワロウテイルに影響を受けて、映画にたずさわりたくて俳優を目指した」

須賀さん「仮面ライダーのオーディションの時は、仮面ライダーのタイトルは知っていたが(須賀さんが子供の頃仮面ライダーは放送していなかったので)タイトルを知っているだけで、きちんとは知らなかった」

須賀さん「仮面ライダーが13人いるので、1ヶ月に1人誰かが死ぬと思っていた。ライダーを演じる役者はいつ死ぬかわからないで、演じていた」
 
須賀さん「最終回の前に城戸真司が死んだのは、僕が1番衝撃だった。1年間、城戸真司を演じて龍騎への思いはピークだったので、車にもたれて死ぬシーンは特別だった。その後、別の仕事で東映の撮影所に行くといつも、あそこで死んだと思い出す。今考えると、仮面ライダー龍騎は攻めていたドラマだった」
 
須賀貴匡(すが・たかまさ)さん「仮面ライダー龍騎のあの1年間は、その後の俳優人生の指針になった」

須賀さん「ライダータイム 仮面ライダー龍騎は、龍騎の15周年で出演者が何人か集まった時、何かしたいという話になって、俳優発信で白倉伸一郎プロデューサーに話をしに行って実現した」
 
前回のスーパーフェスティバル81・萩野崇(はぎの・たかし)さんのトークショーで鈴村展弘監督⬇が途中から参加しましたが、今回も鈴村展弘監督はトークショーの途中で、須賀さんに呼ばれてステージに上がって仮面ライダー龍騎の撮影時の秘話を語ってくれました。龍騎の時よく須賀さんの実家のお店に飲みに行ったそうです。そのお店には13種類のネタ(海老を龍に見立てた)を使った龍騎丼というメニューがあったそうです。


鈴村監督が、「仮面ライダー龍騎で、すがっち(須賀さん)の初登場の場面は前日、お酒を飲み過ぎて顔がパンパンに腫れていた」と言うと須賀さんは「あれは台本に書いてあった。僕は台本に書いてあることしかやらない」とこたえたり、、、鈴村監督がステージに上がってからは須賀さんはふざけまくって楽しかったです。鈴村監督がステージに上がるまでは須賀さんはおとなしかったので、、、もしかして須賀さんは人見知りなのでしょうか?

須賀貴匡(すが・たかまさ)さんサイン会。サイン会の様子は撮影禁止でした。
 
須賀貴匡さんのサインボード。⬇事前に書いた物を手渡しのシステム。事前に書いてもらった方がサイン待ちの列の動きが早いので嬉しいです。須賀さんは笑顔でファンと話していました。
 
須賀さんにサインしていただいた仮面ライダー龍騎・城戸真司カード。⬇私はトレーディング・カードにサインをしてもらうサインカードを集めるのが趣味なので、今回のスーパーフェスティバルはこの1枚のカードのために行ったのです。

須賀さんにサインしていただいた、てれびくんの付録の仮面ライダー龍騎のポスター。⬇須賀さんは、このポスターを見て「懐かしいなあ」と言っていました。トークショーの中で須賀さんは「ライダータイム 仮面ライダー龍騎」の撮影に入る前にYouTubeでチラっとチェックしたくらいで作品は見返していないと言っていましたが、、、須賀さん過去に出演した作品を振り返らないみたいです、、、。

会場にいた鈴村展弘監督に「このポスターしかないのですが、、、」と言ってサインをお願いしたら、サインを書いてくれました!!
 
さら〜に、鈴村展弘監督が考えた「戦わなければ生き残れない」⬇も書いていただきました!!これは凄すぎです。一生の宝物です。鈴村監督ありがとうございました。