Vol. 12 ソルティフィールズ


コロナによる活動自粛中に書いた曲がいくつかあります。そのひとつが『ソルティフィールズ』。僕らの故郷、那須塩原市をテーマにした曲です。少年時代から今に至るまでを回想するような詞になっています。YouTubeチャンネルにアップされております。ぜひご視聴ください。


さて、今回はいつもとは趣向を変えて、歴史的な側面から話してみようと思います。(水土里ネットとちぎ様のホームページを参考にさせていただきました。歴史上の人物については敬称略。)


那須野が原の史実は、開墾と治水に始まります。かつては水利が悪く、稲作に向かない不毛な土地でした。火山灰や石が多く、水が浸透してしまうんですね。以前、NHKのブラタモリでも放送されました。とてもじゃないけど、人が暮らせるような土地ではなかったわけです。


明治時代に入り、那珂川を水源とする疏水(そすい)が造られます。滋賀県の琵琶湖疏水、福島県の安積疏水と並んで、日本三大疏水と呼ばれています。そう!この疏水のおかげなんですよね。街として発展したのは。当時、国から潤沢な予算がつき、国策としての大事業になりました。中心人物といえば、印南丈作と矢板武。社会科の授業で聞いたことがある方も多いのでは。栃木県令(今の県知事)を務めた三島通庸(みちつね)の存在も大きかったようです。土木行政の重鎮。三島という地名の由来にもなっているのかな。そのほか、大山巌、山縣有朋、松方正義などなど、明治新政府のビッグネームが開拓に携わっています。


幕末から明治を生きた人たちの先見の明には脱帽しかありません。黒船来航、260年も続いた徳川政権の崩壊、その後の凄惨な戊辰戦争。アイデンティティはズタズタになったと思うんです。それでも未来に希望を託したわけで。生活のインフラがなければ、恋も愛も生まれないし、家庭を作ることもできない。子孫繁栄はない。国の未来もない。そのあたりを、観念ではなく、体感として心得ていたのではないかと。


昔、そすい音楽祭というライブイベントがありました。俺あのステージの上から『疏水so sweet!』なんて、誰でも思い付くゴロを、さも自分だけが発見したかのごとく、シャウトしたことがありましたねー。お恥ずかしい限りw


ところで、この地域は、鉄道や新幹線、高速道路に恵まれた土地でもあります。東北新幹線の開通と那須塩原駅の開業は1982(昭和57)年。もとの名称は東那須駅。駅名論争もあったみたいですね。全国どこでも必ず起こるネーミング論争。やがて環七ラーメン戦争。火付け役といえば、なんでんかんでんフーズ社長川原ひろし氏。マネーの虎。今は催眠術やってます。何の話?


今日はこんなところで😉


2020.11.19