さらば「Nasty Music」
[ローリング・ストーンズ] ブログ村キーワード
ストーンズのみならず、ロック史上に残る不滅の名ブートレグとして君臨していた「ナスティ・ミュージック」!!
1973年欧州ツアーの ベルギー・ブリュッセル公演を中心として収録され、'74年にアメリカのラジオ局、KBFH( "King Biscuit Flower Hour" )が放送したものが音源です。
その昔NHKーFMでも一部がON AIRされ、その鬼気迫る演奏に圧倒されたもの。
2011年ブリュッセル公演のダウンロードが開始され、YouTubeでも聴けるようになりました。
海外のサイトなので意味不明な翻訳はご勘弁。
バンドは解放されている最初の項目は、ベルギーの森国立で記録された伝説的な1973年のコンサートの待望のダウンロード、です。長いバンドの最大のライブパフォーマンスの一つとして、ダイハードストーンズファンで脚光を浴び、ブリュッセルアフェアは、年間の地下音楽界の大黒柱となっています。欧州73、ベッドのスプリングシンフォニーとブリュッセルアフェアなどのタイトルで販売されているオリジナルの海賊版は、、シンジケートラジオ番組キングビスケットフラワーアワーなど多彩なラジオ放送、から一緒に石畳、そして通常は他の会場で行われた曲が含まれていた。新しい版は、2つのブリュッセルのギグから独占的に引き上げ、ローリングストーンズのモバイルスタジオにアンディジョーンズによって記録されたオリジナルのマルチトラックマスターから撮影したもの。長年のストーンズコラボボブClearmountainは、最終的なミックスを適用する。
ブリュッセルでは、ストーンズはアルバムの山羊の頭のスープを促進するために1973年の秋に乗り出したことのヨーロッパツアーの最後から二番目の停留所だった。同時に、ストーンズは、はるかに地球上で最大のスターであり、彼らはブリュッセルの森国立競技場で行ったように、21都市のツアーは、バンドが頻繁に一日2つのショーを実行させる、熱狂的な群衆によって満たされた。熱狂的なペースにもかかわらず、道路の旅は、ステージ上のバンドの最大の音楽のいくつかが得られた。
ブリュッセルアフェアは、その偉大さを取り込みます。"ブラウンシュガー"のオープニング和音から"ストリートファイティングマン"のクロージングクレッシェンドに、ストーンズは、すべてのシリンダーで発射された:キースとチャーリーが機関車のようなリズムセクションを(どんな曲があるのはこの演奏よりも速く再生することができます乱発"このジョイントをリッピング"?)、ミックテイラーが彼の青いスパンコールのベストでうなると研削ブリスターリードの集中砲火、そしてジャガーを提供する。
ストーンズは商用リリースのためのショーのライブアルバムの準備を進め始めたものの、アイデアは、最終的に棚上げ - セットとそれが提示するストーンズの名曲の決定的なライブバージョンの残忍な行為、特定の悲劇。幸いなことに、それはすべて、今日変更されています。主流にその方法を見つけるために必要なこと海賊版oneローリングストーンズがあった場合、ブリュッセル'73はそれだった。
能書きはこの辺で。
1973年のストーンズがどれだけ凄かったか、その耳でお確かめ下さい。
『ブリュッセルズ・アフェア』 ローリング・ストーンズ
「全長版はちょっと……」「サワリだけ聴かせて」という方も中には。
そんな方にはこちらを。
「ミッドナイト・ランブラー」「ストリート・ファイティング・マン」の演奏は、神懸かりとしか言いようが。
「ミッドナイト・ランブラー」 ローリング・ストーンズ
「ストリート・ファイティング・マン」 ローリング・ストーンズ
チャーリーとビルもノリノリですが、やはりキースとミック・テイラーのギター・バトルに尽きます。
この演奏を聴いた上でなおもキースが下手だと宣う輩は、耳がどうかしているか音楽のセンスがゼロというしか。
ストーンズではやり尽くしたのでしょう、翌74年にテイラーはアルバム「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」を置き土産にバンドを脱退してしまいます。
以下は全くのフィクションです。
M・T「ねぇミックの旦那~、オラが一生懸命曲を作っても何でクレジットはいつもジャガー=リチャード?」
M・J「クレジットから外すと、キースが怒るからよ~。アイツとはガキの頃からツルんでるしさ」
M・T「でもそれだと、オラに印税入らないでねぇの。何とかしてちょ~」
K・R「ちょっと待ったっ~!! 何をコソコソ話してんだ~~」
M・T「キースの兄貴~、アンタ最近曲も書かずにクスリばっかでねぇの」
K・R「不良を演じるのも楽でねぇわ。いくら稼いでも、みんなクスリに消えちゃうんだぜ。その上印税も無くなったら、オイラ泣いちゃうから」
M・T「それはそれ。この件をどうにかしないと、オラこのバンドからおさらばするべさ」
K・R「上等だぜベイベー。そういや最近ロニーっていう奴が良い曲書いてよ、それをオラの名前で出してもいいってよ」
M・T「いいカモが見つかったな兄貴。でもアイツに「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」が弾けるってか?」
K・R「たしかに名曲だけど、ストーンズ向きじゃねぇべ。「アンジー」1曲あれば十分よ」
M・T「それじゃやめさせてもらうわ。アンタらと違ってオラはイケメンだし、エリック兄さんみたいにソロで成功してやっから。ほなサイナラ」
というやり取りがあったのか、なかったのか。
真相は闇の中です。
リューゾーさんのブログ、「のんびりやろっか」をパクってみました。
2011-12-30 21:55:41
Run For Your Life ビートルズ
http://ameblo.jp/beatleltaed/entry-11121754019.html
リューゾーさん、パクるのは今回限りですので何卒お見逃しを。
ついでにこんなツーショットも発見。ミック・テイラーの隣りは、なんとジミ・ヘンドリックス!!
ギタリストがソロで成功するのって、非常に難しいようです。
ソロになったミック・テイラーは、さほど成功したとは思えません。抜群のギター・テクニックだっただけに、脱退さえしなければストーンズでもっと良い作品を残せていたかも……。
↓「ブリュッセルズ・アフェア」を聴いてしまうと、他のライヴ・アルバムが皆霞んでしまします。それくらい良い出来なのです。
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「Nasty Music」
ストーンズのみならず、ロック史上に残る不滅の名ブートレグとして君臨していた「ナスティ・ミュージック」!!
1973年欧州ツアーの ベルギー・ブリュッセル公演を中心として収録され、'74年にアメリカのラジオ局、KBFH( "King Biscuit Flower Hour" )が放送したものが音源です。
その昔NHKーFMでも一部がON AIRされ、その鬼気迫る演奏に圧倒されたもの。
2011年ブリュッセル公演のダウンロードが開始され、YouTubeでも聴けるようになりました。
海外のサイトなので意味不明な翻訳はご勘弁。
バンドは解放されている最初の項目は、ベルギーの森国立で記録された伝説的な1973年のコンサートの待望のダウンロード、です。長いバンドの最大のライブパフォーマンスの一つとして、ダイハードストーンズファンで脚光を浴び、ブリュッセルアフェアは、年間の地下音楽界の大黒柱となっています。欧州73、ベッドのスプリングシンフォニーとブリュッセルアフェアなどのタイトルで販売されているオリジナルの海賊版は、、シンジケートラジオ番組キングビスケットフラワーアワーなど多彩なラジオ放送、から一緒に石畳、そして通常は他の会場で行われた曲が含まれていた。新しい版は、2つのブリュッセルのギグから独占的に引き上げ、ローリングストーンズのモバイルスタジオにアンディジョーンズによって記録されたオリジナルのマルチトラックマスターから撮影したもの。長年のストーンズコラボボブClearmountainは、最終的なミックスを適用する。
ブリュッセルでは、ストーンズはアルバムの山羊の頭のスープを促進するために1973年の秋に乗り出したことのヨーロッパツアーの最後から二番目の停留所だった。同時に、ストーンズは、はるかに地球上で最大のスターであり、彼らはブリュッセルの森国立競技場で行ったように、21都市のツアーは、バンドが頻繁に一日2つのショーを実行させる、熱狂的な群衆によって満たされた。熱狂的なペースにもかかわらず、道路の旅は、ステージ上のバンドの最大の音楽のいくつかが得られた。
ブリュッセルアフェアは、その偉大さを取り込みます。"ブラウンシュガー"のオープニング和音から"ストリートファイティングマン"のクロージングクレッシェンドに、ストーンズは、すべてのシリンダーで発射された:キースとチャーリーが機関車のようなリズムセクションを(どんな曲があるのはこの演奏よりも速く再生することができます乱発"このジョイントをリッピング"?)、ミックテイラーが彼の青いスパンコールのベストでうなると研削ブリスターリードの集中砲火、そしてジャガーを提供する。
ストーンズは商用リリースのためのショーのライブアルバムの準備を進め始めたものの、アイデアは、最終的に棚上げ - セットとそれが提示するストーンズの名曲の決定的なライブバージョンの残忍な行為、特定の悲劇。幸いなことに、それはすべて、今日変更されています。主流にその方法を見つけるために必要なこと海賊版oneローリングストーンズがあった場合、ブリュッセル'73はそれだった。
能書きはこの辺で。
1973年のストーンズがどれだけ凄かったか、その耳でお確かめ下さい。
『ブリュッセルズ・アフェア』 ローリング・ストーンズ
「全長版はちょっと……」「サワリだけ聴かせて」という方も中には。
そんな方にはこちらを。
「ミッドナイト・ランブラー」「ストリート・ファイティング・マン」の演奏は、神懸かりとしか言いようが。
「ミッドナイト・ランブラー」 ローリング・ストーンズ
「ストリート・ファイティング・マン」 ローリング・ストーンズ
チャーリーとビルもノリノリですが、やはりキースとミック・テイラーのギター・バトルに尽きます。
この演奏を聴いた上でなおもキースが下手だと宣う輩は、耳がどうかしているか音楽のセンスがゼロというしか。
ストーンズではやり尽くしたのでしょう、翌74年にテイラーはアルバム「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」を置き土産にバンドを脱退してしまいます。
以下は全くのフィクションです。
M・T「ねぇミックの旦那~、オラが一生懸命曲を作っても何でクレジットはいつもジャガー=リチャード?」
M・J「クレジットから外すと、キースが怒るからよ~。アイツとはガキの頃からツルんでるしさ」
M・T「でもそれだと、オラに印税入らないでねぇの。何とかしてちょ~」
K・R「ちょっと待ったっ~!! 何をコソコソ話してんだ~~」
M・T「キースの兄貴~、アンタ最近曲も書かずにクスリばっかでねぇの」
K・R「不良を演じるのも楽でねぇわ。いくら稼いでも、みんなクスリに消えちゃうんだぜ。その上印税も無くなったら、オイラ泣いちゃうから」
M・T「それはそれ。この件をどうにかしないと、オラこのバンドからおさらばするべさ」
K・R「上等だぜベイベー。そういや最近ロニーっていう奴が良い曲書いてよ、それをオラの名前で出してもいいってよ」
M・T「いいカモが見つかったな兄貴。でもアイツに「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」が弾けるってか?」
K・R「たしかに名曲だけど、ストーンズ向きじゃねぇべ。「アンジー」1曲あれば十分よ」
M・T「それじゃやめさせてもらうわ。アンタらと違ってオラはイケメンだし、エリック兄さんみたいにソロで成功してやっから。ほなサイナラ」
というやり取りがあったのか、なかったのか。
真相は闇の中です。
リューゾーさんのブログ、「のんびりやろっか」をパクってみました。
2011-12-30 21:55:41
Run For Your Life ビートルズ
http://ameblo.jp/beatleltaed/entry-11121754019.html
リューゾーさん、パクるのは今回限りですので何卒お見逃しを。
ついでにこんなツーショットも発見。ミック・テイラーの隣りは、なんとジミ・ヘンドリックス!!
ギタリストがソロで成功するのって、非常に難しいようです。
ソロになったミック・テイラーは、さほど成功したとは思えません。抜群のギター・テクニックだっただけに、脱退さえしなければストーンズでもっと良い作品を残せていたかも……。
↓「ブリュッセルズ・アフェア」を聴いてしまうと、他のライヴ・アルバムが皆霞んでしまします。それくらい良い出来なのです。
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