プロデュース公演・吉原恋刀『柳生十兵衛命日』 | 武士道記

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武士道プロデュース公演
『吉原恋刀』
稽古ラスト2!!

 

本日は柳生十兵衛の命日

本作品では唯一歴史上の人物として

柳生十兵衛が登場します!!

 

 

柳生十兵衛(やぎゅうじゅうべえ)1607~1650年
十兵衛は通称。本名は三厳(みつよし)。
父は柳生但馬守宗矩
柳生四兄弟(友矩、宗冬、列堂義仙)の長男。
1607年大和国柳生庄(現在の奈良市柳生町)にて誕生。
13歳で徳川家光の小姓として使え、
後に剣術指南役をつとめたが20歳の時に
何らかの理由で家光の勘気を被って勘当され、12年ほど放浪する。
放浪時代は武者修行や山賊征伐をしていたといわれるが実際の行動は不詳。

片目に眼帯をした容姿が特徴
若い頃に失明したという伝説があり
これは幼い頃の稽古で父・宗矩の木剣が目に当たったとか
宗矩が十兵衛の技量を見極めるために礫を投げつけて
目に当たったためなどといわれる。
しかし、肖像画とされる人物の両目は描かれており、
当時の資料・記録の中に十兵衛が隻眼であったという記述は無い。
宗矩が死去すると、その遺言によって所領12000石は
家光の裁量で弟の宗冬と分け与えられ、
十兵衛は先祖代々の本領を含む8300石を受けついで家督を継いだ。
しかしそのわずか三年後、柳生の里近くの弓が淵において
鷹狩りの最中に急死し44年の生涯を終えた。
遺体は検死が行われたが外傷は無く、
死因は不明のまま埋葬された。

 

剣豪・柳生十兵衛が吉原遊郭とどう関わっているのか

とくとご覧ください!!

 

 

吉原。それは幕府から認められた遊郭。
男の極楽、女の苦界。
その地は享楽、歓喜、悲嘆、落涙と人の感情そのままに満ちていた。

遊郭の最高位、太夫の中に刀をその手に睦む遊女がいた。
--腹上太夫。そう揶揄されるその白露太夫に
殺されるかもしれぬがそれでもとその美しさ故に一夜の相手を望む男が多くいた。
たとえ死のうとも。
その男たちに白露太夫は相手する前に一言だけ。問いかける。

「--あちきの床はとこしえの夢。明日の朝日を祈るがよろしんし--」

 

 

中目黒キンケロ・シアター

3/25(木) 19:00
3/26(金) 13:00
3/27(土) 14:00 / 19:00
3/28(日) 13:00 / 18:00
3/29(月) 14:00
入場料:4,800円 全席自由

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