十五陣・柳生十兵衛『登場人物紹介7・柳生氏』 | 武士道記

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武士道第十五陣本公演『柳生十兵衛』

稽古17回目!!

今日から本番までノンストップで行きます!

稽古はあと2回!!

 

 

最後まであがいてあがいて

お客様を楽しませる芝居を作るぜ!!!

 

 

登場人物紹介その7
最終回は「柳生氏

 

 

柳生の祖先は菅原道真(845~903年)だったといわれる。

柳生の台頭は柳生石舟斎が戦国時代に徳川家康(1594年)と出会ってから。
石舟斎は家康の前で「無刀取り」を披露したことに

兵法指南役に迎えたいと申し出を受ける。宗厳はすでに66歳であったため

代わりに五男の柳生宗矩が指南役となった。

 

宗矩は石舟斎の五男であったが、長男の柳生厳勝は鉄砲により戦傷を負い
次男の柳生久斎と三男の柳生徳斎は僧侶となり
四男の柳生五郎右衛門は中村一氏に仕官していたため
柳生家当主として徳川氏に仕えた。
宗矩は関ヶ原の戦いで家康の命を受けて大和の豪族の調略に従事し
西軍の後方攪乱作戦も務めた。
その功績により柳生藩が3,000石加増され徳川秀忠の兵法指南役となる。
1614年大坂冬の陣では徳川軍の大和国の道案内役を務め
翌年の大坂夏の陣では秀忠の身辺警護を務め、敵兵7名を斬殺した。
1621年からは徳川家光の兵法指南役となり

1629年従五位下但馬守を叙任する。

1632年将軍家総目付役に任じられ、3,000石を加増された。
1636年には4,000石を加増され、合計1万石の大名となる。
1639年には1万2,500石の所領となった。

 

宗矩と同時期に徳川氏に仕えていた小野忠明の所領は

わずか600石ほどに過ぎなかった。
一方の宗矩は家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えて

大名にまで栄進したのだから相当の信任を受けていたことがうかがえる。

宗矩の死後、遺領は3人の息子

十兵衛8300石、宗冬4000石、義仙200石によって分知されたため

柳生氏は一代で旗本に戻る。
 

十兵衛の死後に家督を相続した宗冬の代に再び大名に復帰する。
以後、明治維新まで柳生藩を領し、維新後に子爵の位を授けられた。

宗家の他に尾張藩に仕えた宗矩の甥・柳生兵庫助の系統・尾張柳生がある。

 

武士道第十五陣本公演
『柳生十兵衛』
4/8(土)14時/19時
4/9(日)13時/18時
4/10(月)19時
4/11(火)14時
武蔵野芸能劇場
チケット予約

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