理想の脚本は生み出されない | 大次郎 侍心 SAMURAI-HEART

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サムライプレーヤー☆大次郎の直情系ブログ

久しぶりに舞台見てきた

舞台人なんだけど他人の舞台はあまり見ません

映画のほうが好きなんですよ

誘わなければ行かないんですけど

誘ってくる一部の人は私がやるときは見に来てくれなかったり

お知らせ自体を無視したりするもんでね

業界には暗黙のルールがあるはずなんだけど

守らない人がいるから簡単にはいかないわけなんです

 

今回観に行ったのは題材が面白そうだったからです

私の観たい演劇は

人間の行動が矛盾していない芝居です

矛盾というのは

ここでこんなことする?言う?

って疑問に感じることです

 

例えば

複数の顔見知りが会話をしているとき

部外者は誰もいないのに

身の上話をしたとする

 

「ここが寂れた村なんて誰でも知ってるよ!何をいまさら」

という状態になる

筆者はその場の人間の立場や関係性をお客に伝えるために

セリフを作ったのだろうが

物語の人物にしてみれば「ここでこんなこと言う?」

となるわけだ

素直な観客なら受け入れるだろうが

物語としてみれば違和感しかない

演劇とはそういうものだでは済まされない

というか、そういうものだったらダサくねw

いわゆる説明セリフ

説明だけで話を進めようとする演劇はもう大嫌い

一人が長々と自己紹介するのではなく

仲間との会話のなかで客に分からせるように書くべきだ

ついでに長セリフも大嫌い

演説でもナレーションでもないのに

周りに人がいるのに続けて自分の世界で喋る人って少ないよね

誰かが相槌うったり、話しに割り込んだりするはず

「俺はこう言いたいんだ!」って筆者が思ってるかもしれないけど

物語書いてるんだから演説はやめようよ

シェイクスピアじゃないんだ

シェイクスピア並に美しい言葉でもなんでもない

やらされてる演者がかわいそう。観てるほうも辛い

 

筆者が「こういうことを訴えたい」という意気込みで書くと

言いたいことを言わせた後でムリヤリ物語を繋げる書き方になる

そこで流れに無理が生じる

言わせるための物語になっては面白くもなんともない

まずは物語を書いてその上でいえそうなところで

少しずつ言わせたらいい

 

観てる側は物語に引き込まれる方が心地いいと思う

演者がリアルに生きている様を見せるのがいいと思う

筆者の言いたいことなんかほとんど興味がないのだ

 

そういう理想の脚本に会いたいな

自分じゃ書けない

上に書いたことって大昔の自分のことなんだけどねw

人の脚本にダメ出しするのはこの業界タブーだし

洗練された脚本かく人なんてなかなか出ない

雑誌の編集みたいな人がいればいいだよな

ムリか

 

そういえば観にいった芝居の話してないな

まあいいや

比較的面白かったので

 

デハ!!