2003年私は俳優をめざすためにガムシャラに生きていたため
等々力に言った記憶があやふや
節約生活に終始したため開幕戦と最終戦しか行かなかったと思う
自転車で環八を南下し多摩川を下って行った
リーグは新潟、広島、川崎の三つ巴になり
最終節まで昇格争いがもつれたが
川崎は勝点1足らず涙を呑む
この最終節は等々力に2.2万人入った
そしてこの年は
川崎史上最強助っ人になるジュニーニョ
川崎のシンボルとなる中村憲剛が加入している
中村憲剛は大卒でまったくの無名選手であったが
私はこのとき、中村という名前と細身の体、MFというだけで
中村俊輔を彷彿とさせたため
凄い選手になるんかないかと一瞬思ったw
憲剛は右利きですがw
そしてこの年の屈辱と3年間J2でもがいていたこと
川崎市を見直すことで真の顧客を獲得することを見出し
2004年のJ2は勝点100を超えぶっちぎりの優勝を飾る
平均入場者は2000年のJ1時代を上回る9,148人
本気でJ1の優勝を狙いもっと多くの川崎市民を
サポーターに引き込む流れにだんだんとなっていった
一度は見切りをつけた人たちも多分
J2で4年間のチームの努力は身にしみて感激したと思う
よくぞ立ち直った、そして力を蓄えたと
私は俳優業に余裕が出てくると
観戦も積極的にいけるようになったため
等々力や周辺の盛り上がりが年々増していくことに
わくわくするようになった
2005年からのJ1では
10点取られたら11点取るような勢いの
超攻撃型のチームとしてリーグを活性化した
翌年2006年にはリーグ2位
2007年はナビスコカップ決勝で敗れ
タイトル奪取ならず
それからタイトルを取るチャンスが数回来るが
ことごとく逃していく
それでも最低順位は11位で降格争いをしたことはなく
それ以外は常に1桁順位
Jリーグ3回、ナビスコカップ3回、天皇杯1回と
2位を7回獲った
これだけ優勝できず2位どまりのクラブは川崎が唯一
だいたいどこも3度目にはタイトルを獲っている
だがJ1の強豪へ仲間入りし、10年かけて力を安定させた
観客数は1万人をとうにこえ
スタンド増築工事が実現した
面白いサッカーを魅せるチームになった
そして2017年にリーグ優勝を成し遂げたことで
名実ともに川崎市のチームになった
つづく
デハ!!