奴隷黒人の生涯と日本



奴隷狩りで拉致監禁され、家族からも引き離され、家畜の如く売り買いされた。そして見も知らぬ、遠く離れた大陸に船の倉庫に押し込まれ、多くの死者を出しながら強制連行された。
奴隷として過酷な労働で酷使され、差別され、人間的な扱いなど皆無な一生を送った。唯一、心の叫びを歌にして、解き放ったのだろう。

なんと哀しい、一生だろうか

国際連盟の常任理事国だった大日本帝国は、1919年2月13日国際連盟委員会において、人種的差別撤廃提案 「第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す」 を提案するも、欧米白人諸国の強硬な反対に遭い、不成立。

同年4月11日大日本帝国は二度目の人種的差別撤廃提案、賛成多数ながら理不尽な議長裁定により再度の不成立。「1919年のアメリカでは差別を受けていた米国黒人が講和会議での日本の差別撤廃案に期待をしていたが、賛成多数であったにもかかわらずウィルソンが議長裁定により法案を成立させなかったという自国政府の行動に対して、多くの都市で人種暴動が勃発し、100人以上が死亡、数万人が負傷する人種闘争が起きた」


大東亜戦争時の敵国アメリカの多くの黒人たちは日本と戦いたくなかった。むしろアメリカの敗戦を望んでいたのも事実。


昔も今も、日本は弱い者の味方であり希望の星なのだ!



参考資料引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88