自分がおいしいと思ってない料理をだして、
それでお金をもらうのは失礼なこと。
自分がおいしいと思うものは、
みんなが美味しいと思うと信じることから始めなきゃ。
「人の役になることをしなさい」
「人のためになることをしなさい」
小さい頃から僕らはそう教え育てられてきます。
僕もこの意見には基本的に賛成です。
社会で生きて仕事をしているのは、
それは誰かのためになるからであって、
そこで利益を得る、というのがビジネスの原則だと思います。
歯科医師という仕事も、
患者さんのために、という大前提があります。
「人を喜ばせて自分も喜ぶ」
その最たるものがボランティアだと思います。
ボランティアの是非についてはここでは割愛しますが、
あれは基本的に無償で参加していますよね。
金銭的な報酬はないわけです。
つまり、ボランティアの大前提には、
困っているヒトを助けてその人に喜んでもらう。
誰かの役にたてたという精神的な満足を得ることは
とても充実する経験だと思います。
しかしです。
どうも日本人と言うのは、
「誰かのために」という言葉を考えるときに、
「自分のことは後回し」「自分を犠牲にして人のため」
という一種の刷り込みにも似たしばりが
一緒についてきているような気がするのです。
僕はこの感覚について、
素朴に違うんじゃないかなと思ってしまいます。
自己犠牲の精神は、昔の日本からの名残で、
どこか美徳と思われている節があります。
本人はそれでいいかもしれませんが、
それはしてもらう側からしたら、否定もしづらい状況で、
正直たまったもんじゃないと思うんです。
そうじゃないんです。
人のために、というのはある意味、結果論でいいと思うんです。
自分が好きだからやる。
自分が楽しいからやる。
この視点がまず始めにくるべきなんです。
自分が好きだからやった、
自分が楽しいからやった、
その結果、人のためになった。
これが理想的な状態だと思います。
そもそも、
自分はそんなにおもしろくないけど、
人のためになるから、ではエンジンがかかりません。
自分がおもしろいと思っているもの、
自分が本当にいいと思っているもの、
それを他の人にもしってもらいたいと思うからこそ、
全力で目の前のことに取り組むことができるわけです。
親友に恋人を紹介するときを考えるといいでしょう。
親友に紹介できないような恋人なんて、悲しすぎます。
そんな人、よっぽどの理由がない限り付き合ってないと思うんです。
自分が大切に思える人だからこそ付き合った。
自分が大切に思える人だからこそ、親友にも知ってもらいたい。
そんな感覚です。
料理人が自分が美味しいと思う料理こそ食べてみたい。
「僕はあんまり美味しいと思わないんですけどね…」
なんて出されたものなんて食べたくないですよね。
自分は好きじゃないけど、人のためになるんなら…
というのは、どんどん空回りしていくだけなんです。
「自分の好きから始める。」
「自分がいいと思うものは人もいいと思ってくれるはず。」
「そう思ってくれる人は必ずいる」
まずこれを信じること。
自分の好きで始めたことについてきてくれる人がいるのなら、
きっとその周辺の人たちも巻き込まれることになり、
結果的にどんどん大きくなっていく。
そんないい循環を起こせるのは、
「好きからはじめた」ときだと思います。
別にはじめから、世のため、人のため、世界平和のため、
なんて大きなことを考えなくてもいいんです。
新規にビジネスを始めるときもそう。
いまの仕事にどこか不満を感じているときもそう。
一度このことを思い出してみるといいでしょう。