年間を通して、ダイビングでたびたび訪ねる「和歌山県串本町」。
あちこちで「串本町」の名前を出しても、その名前を知らない人が大変多い。
今年1月13日午後6時56分メーテレ(テレビ朝日系)で放送された「ニッポン視察団スペシャル 日本人が知らない!?NIPPONのニュース」の番組で「串本」が取り上げられました。
この番組内で、日本人における串本の知名度はわずか16パ-セントだとか。
第2次世界大戦中にリトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝(ちうね)がナチスドイツの追害により逃れてきた避難民6000人にビザ(通過査証)を発給し、その避難民を救ったのが美談として伝えられています。
この串本にもリトアニアの美談に負けない日本が誇れる美談が存在していました。
1890年(明治23年)トルコの軍艦「エルトゥール号」が明治天皇への親善使節団として来日し、3ヶ月の滞在を経ての帰路、台風の風にあおられて、紀伊大島の東端の樫崎灯台の崖下の岩礁に激突し大破。
乗組員約650名のうち587名が死亡したのですが、かろうじて69名が村人に救助されました。
60名あまりの村人は献身的な手厚い看病や、衣料や非常食まで提供して、69名の乗組員をトルコに帰国させたのです。
トルコに帰国した乗組員は、村人が家族のように接してくれた真心がうれしかったと話したことが、トルコの国民を感動させたのです。
現在、中学校の世界史の教科書にこの事件が掲載されているので、トルコ人の85パーセントが「串本」の地名を知っているとされてます。
ここ串本は、この事件のあった1890年からトルコと友好関係を結び、串本駅前には「トルコ友好の町」と書かれた看板が掲げられています。
私はこの3月に紀伊大島にある「エルトゥール通り」と呼ばれる通りの先にある樫野崎灯台を訪ねることができました。
串本駅前から、ループタイプの串本大橋を渡って紀伊大島の東端にある樫崎灯台まで距離でいえば19キロもあり、駅前からバスが出ているものの、なかなか訪ねる機会がありませんでした。
「エルトゥール通り」には、トルコアイスの売店や、民芸品やトルコ絨毯を扱ったトルコ人のお店が開いてます。
他のダイバーが一緒だったので、この時はトルコ記念館は残念ながら訪ねることはできませんでした。
大きな慰霊碑は、救助にあたった村民の子孫にあたる地元の小学校の生徒が清掃に当たっているようで、トルコの新任の大使が赴任した時は、必ず紀伊大島の慰霊碑を訪れるそうです。
串本役場の総務課に勤めてるトルコ人のアルカンアイシェギュルさん(27歳)は友好関係125周年式典で通訳として採用され、町内ではトルコ語講座も行っているようです。
その教室で知り合った海上保安官の男性と昨年結婚され、現在串本で暮らされています。
1985年戦争地域だったイランに日本人200名が取り残された時に手を差し伸べてくれたのがトルコ政府で、おかげで日本人200名はイランを脱出できたのです。
庶民レベルの行動や貢献が、国まで動かした美談。
串本の16パーセントの知名度をもう少し押し上げてもよさそうな気がします。
関連映画












