さて、あなたはこれまでに自己啓発セミナーやカウンセリングを受けたことがありますか?
もしくは、困ったときに誰かに相談したりしたことがありますか?
また、新たに習い事、英会話やお料理など、そしてダイエットなどの挑戦したことがありますか?
誰かに触発されたり、話を聞いたりすると、〝よし、わたしもやってみよう〟とその時は思うものです。
でも、それが続きましたか?
やる気にはなったものに、三日も経てば、また元通りの生活に戻ってしまったことがほとんどじゃないですか?
そこで言われるのが、もっと頑張りなさい、努力が足りない、もっと我慢しなさい、といったお決まりの言葉です。
確かに、それを口にする方は、もっとあなたに頑張ってもらいたいからこそ言うのでしょうが、これほど無責任な言葉もありません。
でも、私たちは、どうもそれが常識だと思っているために疑うことさえしないのです。
続かないのだって、本当はもっと深いわけがあるのに、です。
頑張るのが当たり前、努力するのが人間、時には我慢を必要、と私たちは幼少の頃から、そう教えられてきました。
これが常識です。
だから疑うことをしません。
でも、本当はそう思わせとくほうがいいのです。
それを疑うと困る人がいるから、そう思わせられているのです。
まあ、それに関しては後ほどじっくりと説明いたします。
とにかく、何か新しいことを始めるためには、何かしらの動機が必要になります。
その動機とはもちろん〝変わりたい〟ということです。
そもそも、こうしたい、ああしたい、ということとはこれまでの生活にはない新しいパターン、習慣です。
それは、自分がいいと思っているからこそ取り入れようとしています。
でも、それはこれまでの生活にはないパターン、つまりよそ者です。
転校生みたいなものです。
それを受け入れればいいのですが、それがなかなかできないのです。
例えば、これまでテンポよく自分の仕事をこなし、さあそろそろ終了時が近づいてきたとします。
そんな時、上司または同僚から〝急ぎでこの仕事を片付けてくれ〟なんて頼まれるとどうですか?
当然、いい気分にはなりませんよね(苦笑)
文句の一つも言いたくなります。
もしかしたら、断る場合もあるでしょう。
新しい生活パターンを取り入れるということは、そういうことなのです。
良いにつけ、悪いにつけ、新たなパターンを取り入れるということは、それだけ負担が伴います。
だから難しいのです。
ということは、ただ単に頑張ったり、努力をしたり、我慢をするってことじゃないということがお分かりですよね…
つまり、そのような言葉がけは、無責任極まりない言い方なのです。
少しは安心していただけましたか?