今日は祖母の命日です

 

 

いつもニコニコしていて優しい口調の祖母

 

幼い頃は祖母が大好きだった

 

ある時 祖母が母に言っているキツイ言葉を聞いてしまった日から

 

私は祖母に不信感を抱いてしまった

 

中学生の時  母から祖母にされて来た事を聞いた

 

嫁・姑のイザコザ的な事

 

長男だった父が何故  秋田を離れ

 

生まれて間もない私を連れて千葉に移り住んだのか

 

その理由も母から聞いた

 

いつもニコニコしているのは表の顔 

 

裏の顔を知ってしまった私は祖母に懐かなくなった

 

 

 

高校1年の時 祖父が怪我をして左足を切断した

 

それを機に父は私が高校を卒後し専門に1年入ったら秋田に帰る事を決断し

 

高校2年の時に秋田に家を建てた

 

千葉→埼玉で過ごした私は 友達も居ない秋田になんて行きたくなかった

 

父親とも何度も喧嘩をした

 

けどあの祖母の元で母一人にする事は出来なかった

 

母も相当なストレスを感じていたんだと思う

 

顔面神経痛になり通院し

 

私は私でストレス性の発疹が出来通院していた

 

 

 

20歳になる年の6月に秋田へ越して来た

 

祖母に不信感を抱いてしまったせいか

 

祖母との生活はあまり上手く行っていなかった

 

不安いっぱいの私に祖母が放った一言で祖母と大喧嘩をした事もあった

 

私の気持ちなんて祖母は理解しよーともしてくれなかった

 

懐かない私の事を祖母は疎ましく思っていたと思う

 

外孫は可愛いく

 

母からお金をもらい それを外孫に「おこづかい」として渡していた

 

秋田に来たその年の10月  

 

私は大好きなバンドのコンサートを観に行くため

 

1週間ほどお休みをもらい埼玉へ遊びに行っていた

 

埼玉から帰って来た次の日の朝  祖父が心筋梗塞で突然亡くなった

 

祖父の死から半年  

 

祖母の膀胱に癌がある事が分かり岩手医大で手術する事になり

 

手術前の検査で祖母がALS(筋委縮性側索硬化症)である事が分ったかった

 

ALSだと分かっても治療法がないため

 

膀胱癌の手術後は地元の病院に入院する事になった

 

入院当時は自足歩行が出来ていた祖母だが

 

歩行器を使うようになり  歩行器でも歩行が困難になり  

 

一日の大半をベッドの上で過ごすようになって行った

 

ベッドでも初めは自力で寝起き出来たいたのが出来なくなり

 

ベッドの足元のパイプに紐を結び  

 

紐を使いながら寝起きしていたが それも出来なくなった

 

食事もお箸を使って自分で出来ていたのが  スプーンになり

 

次第にスプーンを自分の口まで運ぶ事すら出来なくなっていった

 

首の筋肉も弱まり  食事の時もカクンと下を向いてしまう祖母

 

食事がままならなくなると「完全看護」と称している病院でも人手が足りず

 

朝は父と母  夜は母と私が祖母にご飯を食べさせに行くと言う生活が続いた

 

筋肉は衰えても  視覚・聴覚・頭はしっかりしているものだから

 

当たり前にように我儘を言う祖母

 

父も母も私も疲れてしまっていた

 

そんな時ケアマネが介護さんが居る病院を紹介してくれ

 

転院した事で毎日の病院通いはなくなった

 

それでも休みの日は病院へ様子を見に行き 身の回りの世話をしていた

 

転院して3ヶ月後に祖母は亡くなった

 

最期まで感謝の言葉もなかった祖母だが

 

亡くなる前  ひとすじの涙が頬をつたっていたのは覚えている

 

あれだけ可愛いと言っていた外孫達は

 

祖母が入院中1度もお見舞いにも来ず

 

最期は疎ましい孫に看取られ亡くなった

 

 

 

祖父、祖母のために秋田に来たのに

 

こんなに早く2人を亡くすとは思ってもいなかった

 

何のために秋田に来たのだろう・・・

 

 

 

そんな孫だけど  今日はお線香を立てて来ました

 

 

 

ALSは遺伝性の確率は低いとされているけど

 

同じ血が流れている以上  不安は消えません