へそ仲間の皆さま、へそ❣️
実父が亡くなった時、ある方の教えに救われた。
今世というものは、私たち、地上に生きる者にとっては修行の場なのであって、本来いるべき場所は、いわゆる〝あの世〟と言われる場所なのだそうです。
だから私たちは何かを学びやり遂げるために、地上に生まれ落ちるんですって。
そして最後がどんな形であれ、それもその者にとって修行の内であり、人生を全うした時、今世での学びを終え、やっと還りたかった〝あの世〟と呼ばれる故郷に還れるのだそう。
修行達成おめでとう!
良く頑張ったね。
お帰り。
と迎えてもらえる。
ずっと辛かったカラダやココロの痛み、悩みから完全に解放されて、年老いたカラダも若返る。
それを聞いて
「ああ、父は死して、すべての重荷から解放された今がいちばん幸せなんだ」
と思えて気持ちがラクになりました。
コレまで一緒に過ごして来てくれた事。
そして最後は自己の死をもって、私たちが普段は考えもしない、でも、いつか迎える〝死〟とは…の教えをくれた事に感謝を。
そして私たち遺された者は、アナタの教えや思い出を糧に自分の課題をクリアし、いずれまたアナタと再会する時まで〝今世を生き抜く〟ことが、育ててくれたアナタへの恩返しと思う。
でも大切な人を亡くして気持ちを切り替えるなんてこと、そう簡単なものじゃないですよね。
当の私も未だ、20年連れ添った愛猫や父の存在を側に感じることがあると、止めどなく涙するから。
でも、もし〝死〟というものが向こうに逝ったアナタにとって、そうゆうものだったのだとしたら
私も自分に課した課題をクリアするべく頑張って生きていかなければ。
そしていつか
「良く頑張ったね」
って、アナタに褒めてもらいたい!
と思うのです。
尊敬するお母様を亡くした親友へ。
お母様のご冥福を心よりお祈り致します。
少しでも慰めになるといいなぁ…
一緒に頑張っていこうね。
今日はナンチャッテ・クリエイターの個人的な思想と個人へ向けてのメッセージに付き合わせて、最後まで読んで下った皆さまへ、大変申し訳なく思います。
またあくまでも個人的な視点でモノを言っております。
私はそう信じたいと、ある意味ココロの自己防衛なのかもしれませんし、死の形は人それぞれなので、そんな楽観視はできないとの反論を唱えたい方もいるかと思いますので、〝いいね〟とコメント欄は閉じさせていただいてます。
(明日からまた開けま〜す)
申し訳ありません。
ではまたねん。
バイビ〜👋