特別編 セッラ&モスカ:アンゲル ルーユ リゼルヴァ 1979 | 古きイタリアワインの魅力を読み解く

古きイタリアワインの魅力を読み解く

イタリアンワインガイド ガンベロ・ロッソ 1988-1989
イタリアワイン界に多大な影響を与えるガンベロ・ロッソ Gambero Rossoですが、この初期(1988や1989当時)のレアなイタリアワインと古酒の数々を、掘り下げて解説します。

Vini d'Italia 1988 Gambero Rosso Vol. 65

Distillati&Liquori di Gualtiero Marchesi

Sella&Mosca-Anghelu Ruju Riserva 1979

 

週一のマルケージバーワゴン&バー棚紹介。

今回はVino da Meditazioneの『Anghelu Ruju』。

この名を聞いて、サルデーニャの酒精強化赤と答えるのは我々ワイン関係者ぐらいで、イタリアの普通の人々はSardegnaのネクロポリス名称と答えます。我々は知らず知らず普通の人ではなくなっているのですね。

Vino Liquoroso、Cannonau100%、Passiito。最低5年熟成。畑近くの古代共同墓地遺跡・ネクロポリスから命名。

写真の通り、Anghelu Rujuの東にSella&Moscaのカンティーナがあり、その周りは巨大なワイン畑となっています。

1899年創業のSella&Mosca、1903年にブドウ畑を開墾中だった同社により発見されたAnghelu Ruju。この時から両者は密接な繋がりを持っていたのです。

 

創業者のErminio SellaとEdgardo Moscaは、1899年当時の領主Marchese di Villamarinaから購入しました。1961年にVeneto出身(この時代、やはりVeneto強し)の凄腕醸造家Mario Consorteが入社、この土地のポテンシャルを見抜き、近代Sella&Moscaの礎を築き上げます。彼の様々なアイディアの中に、日常ワインであるCannonauをパッシート仕立てにして、更に暑さに負けぬよう酒精強化したワインを生産するプランがあり、これがAnghelu Rujuの基礎となります。

ごく初期は複数年のブレンドも行っていましたが、60年代中頃からは単一年に拘る様になり、ヴィンテージが定番となります。Cannonau(=グルナッシュ=ガルナッチャ)元来の多産な性質と、長期貯蔵にも耐えるフォーティファイドという利点を使って、1968年で既に年間40000本の生産本数を誇ります。常温保存出来る事、多産な事が利点となり、イタリア全土のちょっと気の利いたBarであれば必ず置いてあるほどポピュラーな存在に。我々のBarでも棚に完備。

 

赤のデザート・ワインとして、イタリアでは鉄板でしょう。赤い果実、チョコレート、カフェ、ココア、様々な要素を感じます。今後紹介しようと思っていますが、Barolo Chinatoの様にボンボンショコラにしても絶品でしょう。更に、モーレソースの感覚で、肉料理に併せてAnghelu Rujuを提供する捻り技も行っていました。特にスパイスと塩を利かせて皮をぱりぱりに焼いた豚料理にAnghelu Rujuなども良く使っていた手です。

それから、やはり単独で。食事の終わりに、その食事の余韻に耽る為。秋~冬、L’Alberetaの暖炉部屋でAnghelu Rujuとシガーと暖炉。パチパチと燃える火を眺めながらゆっくりとシガーを燻らせ、片手にAnghelu Ruju。良いですね。

正に、Vino da Meditazione。そして、そのまま天使に召されそう。

 

私が『ワイン』という飲み物の存在を意識したのは、幼少の頃の刑事コロンボ『別れのワイン』(この先、ネタバレします)です。イタリア系のコロンボが、同じくイタリア系の犯人に『別れのワイン』として車中で差し出す一本。二見書房のノベライズでは、イタリアという互いの祖先に敬意を表してEst!Est!!Est!!!のドルチェ仕立て(TVではモンテフィアスコーネとしか述べない)とマニアックな一本になっていましたが、私は(コロンボの『ひっかけ』の飲み物、ポートと関連づけて)『Anghelu Ruju』こそが一番相応しかったのでは、と今でも思っています。車中でコロンボが袋から取り出したワインを見て「ほほう、Anghelu Rujuですな。素晴らしいデザート・ワインです。別れの宴に相応しい」。更にコロンボとグラスを傾けた後に「実によく勉強したものですな、我々の血統が造ったポートワインとは」と敬意を表するシーン、観たくありませんか?

 

次回も来週に一本ご紹介します。