桜が詠っている。

桜がここに集まれと近隣の人々に

訴えている。

あと10日もすれば、私たちは散りじりに

消えてしまうから。

桜一夜、あるいは桜一昼夜。

壊れるものにこそ美の本懐がある的な

フレーズは確か三島由紀夫だったろうか。

散り行くものにこそに大和の‥

なかずんば武士道の美これ在る。

田代陣基(つらもと)の葉隠れ的に

言い換えてみたり。

Cherry blossomsでは味もそっけもなく

サクラという発音が内包する

風流な韻とは比較にならないほどの

大和言葉の美しさを再考させられる。

かのアイルランド出身のヴォーカリスト

ENYAがSumiregusaを日本語の歌詞で

詠ったのにもそこに起因するような気がする。

彼女は自分が作曲したメロディラインと韻の

相性を踏まえた結果、スミレグサを主題にしたが

本当は脳裏で浮かべていたのはサクラでは

なかったか、と想像する。

あのディレイとエコーが抜群に利かされた

コーラスには満開の桜の木々から

そよ風に吹かれて花びらが散り、散り行く花びらが

列を作り、列は連続になって帯になって

流れていく様を描いて詠ったに違いない、と思った。

花見にはまだ行っていないし、

どうやら今週も行けそうにない。

が、せめて遅咲きの寺の桜の下で

昼の弁当を食べるくらいは臨めるだろうと思う。

これほど儚く美しい花、いや樹木をこよなく愛し

国花とするのが世界中で

ただ1つ日本だけだというのは不思議だ。

確かに四季のある国、北半球と南半球でも

限られた緯度の温帯地域に属する国でなければ

拝めないという特殊性と、

咲いてまもなくすぐに散るという

あっけなさに、合理的な思考の民族には

気に留めるほどの魅力など露もないのだろう。

桜一昼夜に人ともののあはれを思ふ。

例えば、この一文を口語訳にして英訳したとすると、

The air which breaks up if a cherry tree blooms
immediately makes pity of the lifetime of things dim with people.

(桜がすぐに咲いては散る風情に、人と事物の一生の哀れを
彷彿とさせられる。)

という具合に味も素っ気も、

脈絡もリズムもない文章に陥ってしまう。

桜一昼夜、という含意のある熟語が

英訳にはし辛いから、正確に訳すとさらに

単語や文節の数が増えて、

ただの状況説明になってしまうこのもどかしさ。

欧州の市井の人々よ、この桜一昼夜の真意、

僕的には分るかなあ?

分かんねえだろうなあ‥(涙)

ということになる。

したがって、

臨む側に無理があると自戒すべきだろう。

生卵や刺身など、彼らにとって

調理しなければ食べられないと考えている食物を

そのまま生で‥

さらには、醤油などという

彼らにとってただでさえ鈍感な(特にゲルマン、

アングロサクソン族の)味蕾には

ありえない塩辛い刺激物をソテーして

食べるという行為が信じられないだろうから。

ひとひらの桜の花びらにさえ、

生と死、聖と俗、ハレとケ、

日常性と非日常性という左右対極の位相で

物語りつつ、同化、還元、合理化させることができる

日本人の感性の独自性を思う時、

日本人に生まれてきてよかったな、と

自覚させられるのだ。

そして今、脳裏で桜が詠った。

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我が身の一昼夜に、人の一生を映す鏡あり。

名もなき我が身は、名もなき時に散り行くなれど。

引いては返す名もなき春の波間に、

再び帰り咲かんとす。






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