22時の空。
梅雨の晴れ間を縫うように現れたミルキーウェイ。
あと10日もしないうちに織姫星と彦星が天上で出会う。
1年に1度だけ会うことが許される定めの星。
私もちょうど今、そういう人と恋を紡いでいる。
友人はそれを子どもじみていると揶揄し、
知人は大人としての振る舞いを忘れなければ
幾重にも美しいロマンスが編めるだろうと言った。
七夕の日の月は月齢17.5、待居月(まちいづき)。
陰暦では18日の月とされる座して待つ立秋の月、
といわれている。
琴座と鷲座のα星としての織姫と牽牛、
あるいはベガとアルタイル。
白鳥座のデネブを頂点に見事なトライアングルを描く。
月、星座、主星。
人の営みの関係も天球のバランスに習えれば
うれしいけれど。
PS.
月齢カレンダーというものがある。恐らくは天文学分野で使われる、きっとケプラーの法則あたりの古典的な宇宙物理の方程式から見かけ上の月の満ち欠けを、日にちごとに導き出しているものだろう。ネット上でも公表されているので、暇に飽かせて観ることにしている。今に始まったことではない。新月から上弦、ほぼ中旬で満月に向かい下弦になって、新月に戻る。という一か月の一連の地球の衛星の絶え間ないルーティンな円運動を、ロマンスの視点で捉えると、夏から初秋にかけての散文に使える…と思えたからでもある。女性の月経やホルモンバランスを左右するメカニズムにも影響を及ぼしているとされる月の引力の作用、というようなサイエンスのゾーンではなく。もっと幻想的なもの、となると竹取物語とか七夕のお伽噺を大人の文脈で語ると、どんなセンテンスになるのか面白そう、というところから上の文章を綴ったのだと思う。太陽系内の惑星で唯一、1つだけの衛星を持ち、その衛星が醸し出す満ち欠けや海の干満を導く物理学的なワンダーな現象を観察できるのは、地球だけだと思うとそれだけで夢想、いや妄想が加速する。月がとっても青いから、の菅原都々子のテノールや桑名正博の月のあかり、べートーベンの月光も、ドビュッシーの月の光も、月のイメージが持つ音韻はマイナーという点だけでも共通している(と、勝手にそう思う)。
●ちょうど5年前の晩秋から初冬にかけ、書いていながらアップし忘れていた散文が数十本、古い控えフォルダから先ほど発見。時節に沿って、その時折の心象を成り行きに任せて綴ったショートストーリーのよう(こんなの書いていた事も先ほどまで忘れていた)。デフォルメを一切していないので、お見苦しくご不明な点があろうかと存じますが、どうかご海容ください。 ではまた後日、別の散文をアップします。
