小説は共感をめざす。
コピーは共鳴をめざす。
購買意欲をそそり、訴求性を高めるという課題を
帯びている以上、受信者に共鳴してもらえる
(口づてに広めてもらえる)言葉でなければ、
広告紙面上に印字されたそれは、
もはやコピーではなく、お飾りの文字列に過ぎない。
飲食店の場合に多く見受けられる、おいしい、安い、
こだわりの■■、最高のおすすめ■■…
自画自賛を吹聴する、でっかい言葉の羅列。
発信者の主観で発せらる日常会話的かつ感覚的な軽い表現。
もし、その広告をプレートに掲げて街頭で演説するように
大声でコピーを読み上げなければならない、
という条件がつけば、どうだろう。
自らを、自前の商品を自らが、ありきたりな表現で
誇大に誉めそやすという振る舞いに恥ずかしさと照れが
先立つのは想像に難くない。
だから、安易に自分を誉めそやす言葉を
大小や規模に関わらずメディアに載せてはいけない。
安い、おいしい、かわいい、うまい、などという形容詞は
おごそかに、比較的小さく書く方がいいと思う。
味覚も視覚も人それぞれ。
あなたにとっては美味でも、
あの人にとっては普通だったりする。
その普通って、どんな普通?って問いたくなるけれど、
あなたの普通が、あの人の普通とは違うということ位しか
判別できない。
人の五感を踏破するようなマニュアル的かつ
正しい客観性を持った表現、
などというものは誰にもできないし、まず存在しない(と思う)。
だから広告におけるビジュアル、特に写真の力は
枢要なのだ。
中でもシズルやライブ感のある写真が特に好まれるのは
世の趨勢というものか…
てなことを、今日町中で手にしたいくつかの情報誌を
観ていて思った。
いい人なのだけれど、好きにはなれない‥
恋人にするには何かが足りないんだよね‥
お見合いとか合コンでの出会いに
例えるとそういう感想になる。
