1という数字が並ぶ瞬間を意識していた。

11月1日11時11分11秒。

同一の数字が並列になると、妙な呪縛めいた感慨に

囚われるのは僕だけだろうか。

今朝からこの瞬間を見届けるために、

自宅からすでにラックの引き出しにしまった

ままのスオッチのクオーツを持ち出した。

腕時計をはずしてから3年が経過していたが

電池を入れ替えたのが1年前。

秒針もぶれることなく着実にストロークを

刻み、長針も短針もほぼ正確な時刻の位置にあった。

文字盤には16、20、24だけの表示のある

一風変わったもので、

ずっと昔にワイキキの時計店で購入したものだ。

11時11分11秒。

移動中の車内だったが、その1秒前に停車した。

外では、町並みの遠くでこだまするサイレンの音だけが

聞こえた。

偶然だった。消防車のサイレンだとわかった。

縁起のいい音ではないが、

1が9つ並ぶ瞬間に、何かが起こるだろう、

いや起こってほしい、という希望は

とりあえず叶った。

119の暗喩と捉えると、消防車のサイレンは

皮肉なバイアスといえなくもないか。

しばらくして時計に目をやると

すでに秒針は24の文字盤を超えていた。

振り返るに、1番という数字には、

羨望や憧れは強いものの、これまでの人生で

まったく縁遠い数字だった。

はじめ、トップ、優勝、眼下。

そして後続の皆無。

それらが体験または体感できる位置。

これまで、その位置を味わった試しがない。

あらゆる相対的な関係、相関する事象の中で

自分という1つの個が際立った状態に

位置されるということは、本当に大変なことで、

だれ彼とはおいそれとそこに到達したり

定着することが許される位置ではない。

それだけに、その未知の位置や位相には

永遠の憧れに近いものに映り、

できることなら、現実になれば‥と考えるのが

煩悩にまみれた僕という人間の哀しいサガだろう。

そこで、思いついたのが11月1日の今日、

1の並ぶ日に1が並ぶ瞬間を体感することで

1番の位置を体験できると思いついたのだった。

稚拙で、愚直で、僕以外は恐らく、

そこに何の意味を感じることはできないだろう

事柄を、まじめに遂行しようと決めた。

思いつき、決めたのは昨夜の10時前。

すでに布団に滑り込んでからだった。

誰もこんなくだらないこと、思いつかないだろうし

試行することの意味をも感じないだろう。

そこに1番の意味が見出せるような気がした。

46歳で1番愚直な1番無意味な試行。

それにしても1番には変わりないではないか。

世界というレベルでは似たようなことを

している人は相当数出てきてもおかしくはない。

が、国内ではどうだろう。

11月1日11時11分11秒、に時計を観てその瞬間の

自分の周りの出来事を把握、記憶するという

このナンセンスな行為を等しく試行していた人は

他にいたのだろか。

いたとしたら、というかきっといるだろう。

もしかしていなかったかもしれない。

いたとしても、バカバカしくて、書いたり

ことさらに声高に他言するようなことではないと

自分の胸の中にしまっていることだろう。

そして、このテキストの文字を埋めるうちに

次なる瞬間が頭をよぎった。

書く必要はなかろう。

その和の数10は、タロットの運命の輪を

指すナンバーだ。

混沌からの浄化、リセット、あるいは

仕切り直し。

確か、カードの正位置、逆位置のいずれにしても

そういう意味合いのが示されていたと

記憶するが‥

(カードに詳しい方、間違っていたら陳謝)

さて来週の木曜、その瞬間は素敵に映えるかどうか。

楽しみにしつつ、フラットに迎えるようにしよう。

それにしても、アナログのクオーツはいい。

デジタルの液晶数字だけで示される時間というのは

日常感が薄いと、改めて思った。

タイメックスもプレゼントされてから

20年が過ぎ、実家の押入れの木箱に眠っている。

あのエメラルドの夜光を眺めた日が懐かしい。

時の刻みを止めた時計は、人の死より寂しい。

ふと今、感じた。


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