風がぬくもりを運んでいた。
南から吹き上げてくる湿った空気。
そのせいだろう、雨雲が山々の中腹にまで
降りてきている。
時折、小雨。
レインドロップは暖かい。
木が生気を取り戻した匂い。
裸木の先端の小枝に、小さな芽。
春はちゃんと、周りに漂わせながらやってくる。
1人の男が、つい先日、廃業したことを知った。
彼がひいきにしていた印刷会社の担当者から
聞いた。
仕入れ業者として引き継がせてもらう、という
あいさつがあった。
で、あの人は?
某新聞販売店の店主になるべく
修行中だそうです。
あなたには、恥ずかしくてさらす顔がない。
申し訳ない、連絡の不行き届きを許してほしい。
という伝言があった。
あの人はもう還暦に近い。
僕は、一目お顔をみて、
「ごくろうさまでした、新天地でこれからも
がんばってください。その怖い顔を観に
たまに遊びに行きますから、とにかく健康に
だけは気をつけて」
とあいさつをしたかった。
3月は卒業のシーズンであり、
新しい扉を開くための、古い扉を閉める
お別れの時節だともいわれる。
そういえば、昨年の今頃、母方の叔父貴が
62歳で天へ上った。
信じられなかったが、通夜の前の
床に寝ていた彼を観て、呆然としていたことを
思い出す。
自分の年齢を省みると、叔父貴ももうそんな歳
になっていたのか、とはじめて哀しみを覚えた。
少年のころと変わらない彼が、ずっと僕の中に
いたのだ、ということにもはじめて気づいた。
印刷会社を廃業したその人のことも、
かつて、やりとりを繰り返していた
3年ほど前の活況の情景だけが現れていた。
あの人が顔を出せない、という理由を
それ以上考えるのはやめようと思った。
引き継ぎのあいさつに来た担当者に
逆に伝言を依頼した。
せめて、黙って天へ上がることはやめて
ほしい。
余命宣言があるなら、ちゃんと伝えてほしい。
これまで、僕に関わっていただき過分なお世話を
賜り、恩恵をいただいた男たちは
みんな、ある日突然に逝ってしまった。
その1人にはなってほしくない。
次に会うのが墓前や霊前では、あまりに
哀し過ぎる。
ブルーズやバラードは、生きているうちに
語り合えないと意味がない。
Yさん、とにかくいつまでも達者で
いてください。
あなたの甲高い「Yです、おおきにい」
という電話口の声は、ちゃんと覚えていますから。
4月の開けにでもまた、その声が聞けたら
と小さな期待をしております。
