その女性の歌声は、羽毛を包む絹を思わせた。

その女性のステージは、映像を通じ世界の耳を平和にした。

地元メディアの報道を機に、わずか1~2日U-TUBEで

3000万アクセス、今朝のニュース番組では5000万アクセス

とも伝えられていた。

僕は、そのルックスに本人が謙遜し、

ウィットで皮肉を語るほど、劣るものを感じなかった。

堂々と直立し、不動のまま、頭は五度上を向く。

呼気と排気にベストな姿勢。

最高の歌唱を得るための複式呼吸からしか

だせない声を、彼女は生まれながらに

身に着けていたと思う。

凛とした面持ち。確信にみちた発言。

名前、年齢、職業を語り、

歌いにきたことだけを告げた。

媚びることなく、正直な気持ちを

そのまま言葉にしていた。

あれは、彼女の頭の上から降りてきた

何者かのメッセージではないかとさえ思った。

歌い始めると、

一種のトランス状態に入るのかもしれなかった。

映像を3度みて、そう思った。

エンヤに出会った1987年の5月のあの日もそうだった。

渋谷のタワ-レコード。

探していたのは、HIPHOP系のレアな12インチ数枚だった。

店内のサンプリングに彼女の歌声が響いていた。

つかれたように、あのオリノコフロウに聴き入り

そのレコードを買った。

あの日、HIPHOPとファンクのレコードを探すことを

忘れ、彼女に耽溺した。

シチュエーションも時代も異なるが、

スーザン・ボイルを視聴した第一印象は

エンヤとの出会いに酷似していた。

レ・ミゼラブルの夢やぶれて、

というナンバーのせいではない。

あの心を包み込んでいくような

光沢のある繊維のような、

不純物のない水のような、声に。

スコットランドの人。

ストーンヘンジのある場所。

アイルランドは、イングランドより親近感がある地域。

それだけにケルト文化の伝承も、

細く長く続いている。

スピリチュアルな空は、神の声を育む。

その、神の声の伝導者またはメディアとして

選ばれたのが、彼女なのかもしれない。

スコットランドのエンヤ。

と、僕は勝手に命名した。

ア・カペラでも十分に、聴かせることのできる歌唱力。

ステージ衣装は、あの普段着のままでいい。

ついさっきまで、台所でミネストローネを

作っていたような平凡なお母さんの姿のままでいい。

グレゴリオ聖歌か賛美歌でもいい。

オリジナルアルバムを熱望する。

見かけによらない、ではない。

音楽の、歌の真の意味を知る人には

見かけは、不要だ。

スーザンさん、あなたの歌があれば、

ただそれだけでいい。

今後、メディアでの登場が増え、周囲によって

ビジュアルが演出され、仮想としてのイメージが

造られていくことを僕は、恐れる。

メディアに翻弄され、

カムフラージュに依存するようになると

あなたの歌は、死を迎えると思う。

人は見かけによらない。

を、貫いてほしいと思います。

スーザンおばさん、あなたの家で、

僕だけに歌ってほしい。

本当は誰にも教えたくない、知られたくない

存在であってほしい。永遠に。

これまで、人前に登場しなかったのは

周りの知己が、そうだったからではないか。

なんて憶測します。

アルバムは出してほしい。

でも、マイナーなままでいてほしい。

リリースしたら、そっと教えてね。