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美羽(みはね)のアウル

(ブログタイトル = 美しい羽を持つフクロウ)

フクロウが大好きな次女の夢を叶える成長日記
フクロウや次女に関する記事を綴ります。

【OSHO禅タロット学習 Day17】

 

 

先日のリーディングの内容は、

「結果をコントロール」する行動

に注意するという事でしたが、

今振り返ると、出来てなかったように思います…。

前回のリーディング内容はこちら

 

 

<背景>

昨晩、1つの問題を解決するために

事業パートナーと駆け引きする、

打合せの時間を過ごしました。

 

 

元々信頼していた方でしたが

ここ数カ月の彼の行動や言動から、

彼を信用できなくなってしまってます。

 

 

数か月前に、本音をぶつけましたが、

結果的に、2週間連絡が取れなくなり

非常に焦りました。

その後、再度話し合いを持つ機会があり

作戦を練って、対応しました。

 

 

本音で向き合わずに

頭で策を練って対応している様は、正に

「結果をコントロールしようとしている」

 

 

本来であれば

これからの人生を考えて

神経質にならずに、本音で話し合い、

結果までの過程を楽しむ方が良いのでしょうが

まだまだ人間が出来ていない。

と改めて感じました。

 

 

もっと成長できるように

精進したいと思いました。

 

 

 

今日を最高に過ごす為の気づき

 

(現状)①ICE-OLATION(孤立)

(助言)②FLOWERING(開花)

(結果)③SLOWING DOWN(減速)

 

 

 

※ショートVersion

 

 

 

❶ICE-OLATION(孤立)

 

 

<OSHOの説明>

私たちが惨めなのは、

あまりにも自己に入り過ぎているからだ。

あまりにも自己に入り込み過ぎていると

私が言う時、それはどういう意味だろう?

 

そして、私たちが

あまりにも自己に入り込み過ぎていると、

正確には何が起こるのだろう?

 

あなたがたは存在の中にいることが出来るか、

あるいは自己の中にいることが出来るか、

そのどちらかだ ー 同時に両方はあり得ない。

 

自己の中にいるという事は、

離れている、別れているという事だ。

自己の中にいることは、島になるという事だ。

自己の中にいることは、

自分の周りに境界線を引くという事だ。

自己の中にいることは、

「これは私」と「あれは私ではない」

を区別することだ。

 

「私」と「私ではない」の定義、境界、

それが自己とは何かだ ー。

自己は孤立する。そして、

それはあなたを凍り付かせる ー

あなたはもはや流れていない。

もし流れていたら、

自己は存在することが出来ない。

 

人々がほとんど角氷のように

なっているのはそのためだ。

彼らには暖かみがまるでない。

愛が全くない ー 愛は暖かみであり、

彼らは愛を恐れている。

 

もし暖かみが訪れたら、

彼らは融け出し、境界は消えてしまうだろう。

愛の中で境界は消える。

喜びの中でも境界は消える。

喜びは冷たくはないからだ。

 

 

<考察>

基本的にオープンマインドな性格ですが

無意識的に、自分の心を閉ざしている。

そんな風に感じました。

 

 

思い当たる節もあるので

自己に入り込み過ぎないように意識して

もう少し、自分を冷静に見つめてみます。

 

 

❷FLOWERING(開花)

 

 

<OSHOの説明>

禅は、あなたに生きることを望んでいる。

豊かに生きる事、全面的に生きること、

強烈に生きる事 ー キリスト教が望んでいるように

最小限ではなく、最大限に、溢れ出るように ー。

 

あなたの生は他の人たちに届かなければならない。

あなたの至福、あなたの祝福、

あなたのエクスタシーは、種のように

あなたの内側に包み込まれたままではいけない。

それは花のように開き、その芳香を

あらゆる者たちに広めるべきだ ー

友人だけではなく、見知らぬ人たちにも。

 

これが本当の慈悲だ、これが本当の愛だ ー

自分の光明を分かち合う事、彼方なるものの、

あなたのダンスを分かち合うことだ。

 

 

<考察>

❶枚目の心を閉じる状態に対して

❷枚目は心を開いていく事を助言されました。

 

 

やっぱり、

無意識に自分の心を閉ざしているみたいです。

そんな風に感じました。

自分の内面を見つめてみます。

 

 

❸SLOWING DOWN(減速)

 

 

<OSHOの説明>

瞑想は一種の薬 ー それを用いるのは

しばらくの間だけだ。一度その質を学んだら、

特に決まった瞑想をする必要はない。

瞑想があなたの生全体に広まっている。

 

「禅を歩く、禅を坐る」

そうだとしたら、その質とは何だろう?

見守りながら、油断せず、楽しく、

どんな動機もなく、中心に定まり、

愛にあふれて、流れながら、人は歩く。

 

そして、この歩く事とはゆったりと散歩することだ。

愛にあふれ、油断せずに、見守りながら、人は坐る。

どんな動機もなく ー 特に何かのために

坐っているのではなく、何もせずに

ただ坐っていることがいかに素晴らしいか、

どれほどくつろぐものか、

どれほど安らぎに満ちたものか、

それを楽しみながら,,,。

 

長く歩いたあと、一本の木の下に坐ると、

そよ風が吹いてきて涼ませてくれる。

瞬間ごとに、人は自分自身と楽に

くつろいでいなければならない ー

もっと仲良くしようとしたりせずに、

何かを修めようとしたりせずに、

何かを練習したりせずに。

 

「禅を歩く、禅を坐る。

 話していても、黙っていても、

 動いていても、動かずにいても、

 本質はくつろいでいる」

 

「本質はくつろいでいる」 ー これがキーワードだ。

「本質はくつろいでいる」 ー それが鍵となる声明だ。

自分のしていることをなんでもするがいい。

だが、もっとも深い核では、くつろぎ、

クールで、穏やかで、中心に定まっているがいい。

 

 

<考察>

焦る必要はなく、スピードを落とすとき。

スピードを落とすことの大切さ

幸福感を知ることが出来る。

そんな風に感じました。

 

 

 

 

最近、一人旅に出てみたり

図書館で勉強したり

一人で過ごす時間を大切にしていました。

 

 

一応、自分なりに意図を持っての一人行動でしたが

結果的に心を閉ざしている状態になっていたようです…。

 

 

なんとも不思議なリーディング結果でした。

今日は、「閉じた心」を開いて行動しました。

といっても、前のように人と接しただけですが。

 

 

自分の心が、なぜそのようになったのか、

内観する時間を少しずつ作ってみたいと思いました。

ありがとうございました。

 

※ラベンダー畑に行って、自然を楽しみました。100%Pureのラベンダーオイルも手に入れて、心身ともにリフレッシュしました。