退院したら

知ってる人が一人もいない、どこか遠い遠い街まで行ってみよう。

最低限の荷物だけ持って。

そして一番景色が綺麗な街で暮らそう。


もう焦らないから、


ずっと先でもかまわないから、

その街でいつか大切な人が見つかればいいな。
『神経に棲む者たちへ』    KATAN

……あるいはもしあなたが風にあこがれて
地下から這い出るセミならば、
最後の土をかき分けた瞬間、
地上の目もくらむ光と同時に
足もとに広がるやわらかな闇を
あらためて認識するでしょう。
人々はともすると光と闇のとろけあった
乳白色の渾沌の中にさまよいがちです。
私もその中の一人だから常にそれを恐れ、
手を動かさずにはいられないのです。


子供の頃、真夜中のベットの中で、
そこにある自分の肉体と、
それをあらためて意識している
目に見えぬ別の自分との接点がさがせなくて
悲鳴をあげたことがあります。
きっと前の日、
日焼けで焦がれた皮膚や
花びらなどを
顕微鏡で永いこと覗いていたせいかもしれません。
もし神経というものをのぞける顕微鏡が有るとしたら、
やはり皮膚や花びらのそれと同じように
神に存在を約束されたものとして
映し出されるでしょうか。
それが知りたくて、
それを確かめたくて私は私の精神の棲むものを
作らざる得ないのです。
時々私の作った人形を見て、
なぜかなつかしいと言う人がいます。
きっとその人も私と同じように、
いつか遠い日に悲鳴をあげた記憶があるのでしょうか。


時おり私は無機質になりたくて
高速道路をバイクで走ります。
スピードメーターに反比例して
私は単純な記号で表される かめの子 になります。
そんな時は山あいに広がる夕焼けの中に
神々の存在を正直に認めることもできます。
そして願わくば一元素として
<彼>の胸にとけ込みたいとさえ感じます。
しかしそれが果たせる訳でもなく、
しばしば白バイのおじさんに
自分が単なる猿であることを教えられます。
アーティストとは成長できなかった人、
と辞書を書きかえるべきかもしれません。
しかし成長できなかった人の特権として、
私は作品の中で自意識を分解し
新たな原子でそれを再構成することができます。
<彼>が一日目に光と闇を作り、
最後に私たちをつくったように、
アーティストも自らの光と闇、自らの天と地、
そして最後に自らの神経をときめかす者たちを
作ることができるのです。
私は願わずにはいられません。
私の作りだす者たちが、
あのかつての闇を切り裂いた悲鳴を
なだめる者であることを。
目に見える神経と目に見えない神経の狭間を
うめる者であることを。
そして、
あなたの神経から響く微分音を、
私が正確にとらえ受けとめることができることを、
再びサイレンのストップもかかることなく……
 人形はいいます。


   “ 私の瞳は銀色の湖
     しばし泳がせてみませんか
     あなたの退屈な時間を
     そして残るは
     悪魔の頃のあなたのぬけがら ” 

なんの価値もないあたしなんか死んでしまえばよいと思いました。
さよならいおん