公園に遊びに出掛けると
そこに集うたくさんの親子連れ
帰宅後悲観して涙することは
無くなったけど、
まだまだいろんな思いが
駆け巡る新米母です
りりがダウン症じゃ無かったら、、、
どんな子どもだったのだろう?
どんな生活をしてるのだろう?
パパとの喧嘩は減ってるのだろうか?
ん?りりは関係ないかも
考えてもしょうがないし、
何がどうなる訳でもないけど、
たくさんの親子連れに囲まれると
毎回のように考えてしまいます。
ダウン症=不幸
では無かったとゆうことは
確信してますが、
ダウン症で良かった
とか、
ダウン症でない娘は娘でもない
的な境地にはまだ
辿り着きません
いや、もしかしたら一生この堂々巡りと
付き合うことになるかもですが、、、
何かお恥ずかしいですが、
元々ささやかな幸せを願って、
日々のささやかな幸せに
気付き感謝して過ごしていた
つもりでした
やっすいチョコを食べ幸せ、とか
家族みんなでお昼寝してることが幸せ、
昼間からお酒を飲んだりが幸せだったり。
←ただの、ぐぅたらかも
笑
りりが産まれる前は
パパと結婚して、
可愛い息子を授かり、
小さいながらも家を建て、
ご近所さんも素敵な人ばかり
両家の両親、兄弟、祖母達も元気で、
パパの親戚一同も良い人の集まりで、
友達にも恵まれて、
次に産まれてくる赤ちゃんは女の子で
男の子→女の子の順が理想でした
妊娠経過も順調そのもの。
「 私、幸せ過ぎて死ぬかも。」
「 幸せ過ぎて怖い。」
と、家族に話していたほどでした

なので、
ダウン症の疑いが浮上した時、
数日前にダウン症の子を授かる
夢を見たこともあり、、、
やっぱり。
と、
私には高望みでない普通の幸せも
難しいのか。
そんな心境でした
今、そんな幸せ過ぎた私が
想像していた未来とは
少し違いますが、
まさに"オランダへようこそ"
の世界観の中といった所でしょうか

リアルに新婚旅行は、
日程と、パパとの意見も合わず、
私が行ってみたかった
イタリアには行けませんでした
正直、
幸せ過ぎて怖いとまでは
思ってませんが、
正真正銘、私は今幸せです


タイムスリップできるなら、
時間を無駄にした自分に教えてあげたい

私が描いていた
普通の幸せって、
普通ってなんだ?
最近までその当たり前と
思っていた普通が、
とても奇跡の連続で、
それでいて、
普通=大多数
ってゆう定義で良いんだ!
そう思おうと頑張ってる?
思い込もうとしてる自分がいました。
でもなんだかしっくりこない感じ
そんな時、
大人気ブログ、
みほとひまりとかのんと
のとある記事に目がとまりました
映画の中のセリフだそうです!
人が思う幸せの形は決まっている。
不幸の形は様々。
けど、幸せの形は無限に
存在している。
この言葉をシェアして頂き、
すーっと私の心に染み渡り
こないだまでの違和感?
モヤモヤがすっかり
無くなりました


本当に人と比べる必要はなくて、
周りの人が私の幸せを
決めるわけでもなくて、
大多数の思う幸せも
もちろん幸せだけど、
少数派の幸せだって、
本物の幸せに違いない
みほさん、
本当にありがとうございます




