エチオピアの(アムハラ語)で話す
はっきり言って99%何を言っているのか(^▽^;)??
でも不思議なもので大体理解できる
電話ではムリだが、目の前で言っていることならなんとなくわかる
理解しようと言う気持ちと伝えようと言う気持ちでカバーできてしまうのだ
まぁそれほど凄いことでもないのかな?
母親は赤ちゃんの泣き声だけで大体分かるのだから
その方がよっぽど凄いのかもしれない
アムハラ語を話すとママはと~~~~っても喜ぶので
私はちょこっとだけ言ってみるようにしている
「ご飯おいしかったよ☆アムサグナロゥ(ありがとう)」
「ママ、コンジョ~(綺麗)」
こんなもんでも凄く喜んでくれるので
ちやほやされている子役にでもなった気分だ
ママと女同士、もっと沢山話せたらいいのに
互いの文化の違い、宗教、互いの考え方、互いにロベルに対する気持ち
それぞれの国のこと、ママの生い立ち、料理のこと、子育てのこと・・・
沢山沢山話したいことがあるけれど、私とママの間にロベルがいなくては会話が成り立たないのが悔しい
きっとママは英語を話せるはず、首都ADDIS ABABAに住んでいるし
娘のいるアメリカに行ったりしているのだから
けれど私に英語で話しかけてはくれない
ママと2人きりになったこともない
2人きりになる前に立ち上がって家事を始めてしまう
でも私と2人きりになりたくないのでない事は空気で分かる
ママは単に私に居心地の悪い思いをさせないようにしてくれている
私はエチオピア料理はまるっきり出来ない
夫は普段家でお湯を沸かしたこともないのだから私に教えることは到底ムリ
せめて1品くらいエチオピア料理を作れるようになりたいがエチオピアのスパイスやバター(ヤギのミルクからとか動物的なにおいがする)がないので味が決まらないだろうとロベルは思っている
まぁ頑張っても味は決まりはしないだろうが
こんな話を間にロベルなしでママと話してみたいと願っている
ママがどんなに心が愛に溢れた人なのか私には分からない
私が接した部分だけでは計れない
砂浜に立った私から見えるのは大きな海の水面だけなのだから、その下にある深さも、大きさも分からないのだ
ロベル曰く、ママの家には毎日毎日来客があるそうだ
それは食事と言う目的の為の来客がほとんど
それを承知でママはサルバント(お手伝いさん)と毎日料理を沢山作る
無料レストランである
普通できるものじゃない
しかしそれが当たり前のようになり、ロベルが帰ると大抵知らない人間がいて、中には我がもの顔でリビングでくつろぐ人もいれば、ロベルに「お前は誰だ?」という人もいると言っていた
そんな風に出入りが激しいからお金がなくなってしまうような事も多々あるそうだ
ロベルはママに幾度とやめてくれと頼んだが「私の自由よ」と怒るのでそれ以上は言えないと言っていた
ママの思考は、
おいしいものを毎日食べなくてもいい、高い食事をするならその分、普通の食事を何人かで食べた方がいいというのだ
私なんぞは自分が食べなくても子供に食べさせたい
有名な菓子を見ると祖父母に食べさせたい
そんな風に家族に対してのみ思うことである
しかしママは満足かもしれないが家族は不満だらけであろう
こんなママだから遠くの田舎に住む遠い親戚の子を何年も預かっていたりする
親戚が数百kmもバスで来てADDISの病院にかかるような時もどんどん受け入れる
最近こんなことをロベルから聞いた
先日も数百km離れた田舎から病気の子供を連れてロベルの実家に来たそうだ
医者に見てもらったがその子は亡くなってしまったそうだ
亡くなった我が子を抱いてまた数百km帰るのは心身共に辛く可愛そうだからと、ママも一緒に田舎に出かけて行ったそうだ。
代わる代わる亡くなった子を抱いて田舎に戻り、ママはそこから1人で帰って来たそうだ
こんなことが私に出来るだろうか・・・
私に出来るのだろうか・・・
偽りのない無償の愛情を人に持てなければこれは到底出来ないだろう
「ママはこういう人なんだよ」と夫に聞いてからママのことをもっと知りたい、嫁としてしてあげることがないだろうかと心底思った
しばらくママが体調を崩しているそうだ
夫が病院に連れて行かなければ病院へは行かず、朝からずっと教会に出かけているそうだ
神聖と言われる水を飲んで教会に行く
神様はこんな優しい人間をどう見ているのだろうか
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