実は何も見えてないオジサン、三輪明宏。
皆さん、どもです。
さあ、いよいよやってきました。忠臣蔵の月。
今日は、その美談的な話ではなくて、客観的に見るとどうなん?
で、グダグダ書くよ。
昔から日本人になじみのある忠臣蔵だが、冷静に考えてみると非日本的な要素を持つ不可解な歴史的事件だと思う。
どういうことかというと、忠臣蔵で先ず特徴的なのが、善玉と悪玉がはっきりしていて決して入れ替わることがない、という点。
子供の頃から年末になると忠臣蔵を見てきたので疑問も感じなかったが、どの芝居・映画・ドラマでも常に赤穂浪士が善玉で吉良上野介が悪玉である。
しかし実はこれ非常に非日本的だと思う。
例えば戦国時代のドラマでは、どの戦国武将を主人公にするかで悪玉と善玉が入れ替わることなど珍しくない。
家康が主人公のドラマと真田幸村が主人公の場合とでは、家康は善玉になったり悪玉になったりする。
幕末時代劇でも、勤皇の志士が主人公のときと新撰組が主役の時とでは、当然、善玉と悪玉が入れ替わる。
日本人はそういったことを違和感なく受け入れてきたと思うし、むしろひとつの絶対的な価値観で善悪の役割分担を固定化することに抵抗を覚えるのがニッポンの庶民感情だと思うんだわ。
ところが忠臣蔵に限ってはなぜか善悪の役割分担が固定化されている。
歴史的事実として吉良が地元領民に慕われた良き殿様だったにもかかわらず、吉良は如何なる作品においても悪玉なんだよね。
毎年年末の赤穂浪士の祭りにおいても、討ち取られた吉良の首に見立てた袋を棒の先につるして行進する姿に誰も異をとなえない。
判官びいきの日本人らしからぬ現象じゃない?
俺はこれは日本的というよりもむしろ中国の儒教の影響ではないかと思うな。
それも江戸時代に入ってから広まったもののような気がするんだよね。
戦国時代の日本では、武士が主君を見限って別の大名に仕えることはめずらしくなかったし、勝ち馬に乗り換えるようにして裏切ったり強い方に鞍替えすることも道徳的に非難されることではなかった。
赤穂浪士があだ討ちの大義とした忠義というのは、戦国時代の武士にはなかったことだし、一般民衆の間にも普及していなかったように思うのよ。
さらに、もうひとつ疑問に思うのが、『そもそもなぜ吉良を討ったのか』ということである。
忠臣蔵のそもそもの出発点であるあだ討ちが歴史的事実であること自体が、実は非常に謎だと思う。
冷静に分析すればだよ、浅野内匠頭が吉良に対して暗殺未遂事件を起こし、その吉良を赤穂浪士があだ討ちしたことは歴史的事実。
しかし、そもそもなぜ浅野内匠頭が吉良に切りつけたのかは何も分かっていないし、数々の吉良による浅野家へのいやがらせは後年の作り話でしかない事知ってた?
仇討ちの芝居をドラマチックに脚色するため。
前述の通り実際の吉良は領民に慕われた名君であったとも言われている。
とすればだよ、大石内蔵助はいったい何を考えて仇討ちをしたのだろう?
実際には吉良による嫌がらせはなかった。にもかかわらず、突然の主君による殿中での暗殺未遂事件、そしてお家取り潰し。
事実関係を見れば幕府から吉良にお咎めがなかったのは当然であり、主君の非常識な気が違ったとも思える行動を嘆く以外になかったはずじゃない。
それなのにその後、強い意志と綿密な計画のもと仇討ちを実行したその動機が謎だよなあ。
大石自身は分別もあり立派な人物であったことが彼の手紙などの歴史資料からも分かっている。
にもかかわらず、太平の世において家族を犠牲にしてまでも、何の落ち度も無いと分かっている吉良を殺害しようとしたその動機が、この事件の本当の謎だと俺は思うんだわ。
討ち入りと言ってもさ、吉良から見れば赤穂浪士の逆恨みでしかないことは、大石も百も承知だっただろう。
それでも仇討ちをした理由は何か?
忠義という江戸時代になってから広まった大陸生まれの大義を掲げて、その正義の名のもとにあえて仇討ちをして世の中に主張したかったものとは何だったんだろ?
思うに、大石を始め赤穂浪士にとっては吉良個人に対する恨みなどはどうでも良くて、仇討ちと言う形をとること自体が目的だったのではないだろうか?
妙な儒教じみた武士道のために。。。それを将軍綱吉にアピルために。。。
ホントに不可解な事件だよね。
そして吉良とその子孫にとってはいい迷惑以外のなにものでもなかったに違いないし。
ということで、皆はどう思うかな。
忠臣蔵フアンにとっては、夢も希望もないこと言ってんじゃねーよって言われそうだけどさ、要するに、客観的に見るとなんで御容赦御容赦。
ただ、命を捨ててまでも、動いた彼等の行動については、称賛でしかないよね。
ということで結ぶわ。
今日はここらでお開きと。
じゃ、またね♪