年間2万人が自ら死を選んでいる
2024年、2万320人が自ら命を絶った。
1日あたり約55人。毎朝、誰かが「もう限界だ」と思いながら目を覚まし、その日のうちに死を選んでいる計算になる。
そのうち勤務問題を原因とするものは年間約2,900人。過労死・精神障害による労災認定は過去最多の1,304件を記録した。
これは遠い国の話ではない。日本の話だ。
「まじめな人」が損をする構造
日本の職場には奇妙な逆転現象がある。
まじめに働く人ほど、仕事が集まってくる。
できる人間に仕事が集中し、断れない人間がさらに抱え込み、キャパを超えた瞬間に折れる。一方で、うまく立ち回っている人間は同じ給与をもらいながら消耗しない。
これは能力の問題ではない。構造の問題だ。
日本の多くの職場では、評価基準が「成果」ではなく「姿勢・態度・見た目の頑張り」になっている。例外があるかもしれないが少なくとも私の元職場もそうだった。
遅くまで残っている=真面目
反対意見を言わない=協調性がある
無理をしている=責任感がある
と評価される。成果を出して定時に帰る人間より、残業して疲弊している人間の方が「頑張っている」と見られる倒錯した世界だ。
体裁の文化の裏側
「集団のために」「チームのために」と言いながら、実態はどうか。
裏でサボっている人間が必ずいる。
これは道徳の問題ではない。むしろ合理的な行動だ。
日本の職場で本当に求められているのは「成果」でも「貢献」でもなく、「頑張っているように見えること」だからだ。
仕事の中にも利益につながる美味しい仕事、ポジションがあるように逆も然りだ。だから単純に評価もあいまいでドライに成果や貢献のみで決められない。
見られている場面では集団に従い、見られていない場面では自分の楽を選ぶこのゲームのルールを理解している人間が、実は最も賢く立ち回っている。
そして皮肉なことに、このゲームのルールに気づかず本当にまじめにやっている人間が、最も消耗して、最も報われない。
「集団のため」という言葉の本音は「集団から排除されたくない」という自己保身だ。建前は集団主義、本音は個人の保身 この矛盾が、職場の空気をじわじわと腐らせている。
なぜ変わらないのか
変わらない理由も構造的だ。
経営者の多くが長時間労働で出世した世代 自分のやり方が正しかったと信じている
変えようとする個人が「空気を読まない人」として排除される
短期的には「我慢できる人材」の方が会社にとって都合がいい
つまり、変化にインセンティブがない。
精神論でも、働き方改革の掛け声でも解決しなかった理由はここにある。
まじめなあなたへの処方箋
では、どうすればいいか。
結論から言う。そのゲームから降りることだ。
ただし、ゲームを降りるためには準備がいる。怒りや反発で降りようとしても長続きしない。降りた後の地図が必要だ。
処方箋1:「評価されるためにやる」をやめる
まじめな人ほど、他人の評価を内面化している。「頑張らなければ」という感覚の多くは、実は他人の目線が起点になっている。
まず自分に問い直してほしい。これは本当に自分がやりたいことか、それとも評価されたいからやっているのか。
処方箋2:資産を作る
これが最も本質的な処方箋だ。
「お金があれば解決する」という話をしているのではない。経済的な選択肢があることで、初めて「ノー」と言えるという話をしている。
月10万円でも不労所得があれば、嫌な残業を断れる。月20万円あれば、嫌な職場を辞められる。お金は自由ではなく、選択肢だ。
インデックス投資の定率取り崩しバックテストで何度も確認してきたが、リーマンショック直前に投資を始めても18年後には資産は大幅に増えている。時間と複利は、まじめに働いても報われない人間の味方になってくれる数少ないものだ。
最後に
年間2万人以上が死を選んでいるこの国で、「もっと頑張れ」とは言わない。
あなたがまじめであることは、弱さじゃない。ただ、そのまじめさを消耗させるゲームに使い続ける必要はない。
ゲームのルールを疑うこと。降りる準備をすること。新しいゲームを探すこと。
それがまじめなあなたへの、唯一の処方箋だと思っている。