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ぐーたらウサギ

2018年3月、精神保健福祉士合格!次はちゃんとカウンセリング技法学びたいです!

2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中

 

2011年3月11日。

1995年1月17日もだけど、忘れられない日になりましたね。

 

当日は金曜日なので会社に居ました。

普通にデスクで仕事して、コーヒーが無くなったから淹れに席を立って。

戻ってきてまもなく、あの不気味なゆれが始まりました。

 

23区って震度で言ったらどれくらい揺れたんだろう。

もう経験したことの無いような、ビルごと振り回されるような揺れが、

かなりの長時間(に感じたけど実際は不明)続きました。

 

とりあえず立てるくらいまでには収まって、ビルの外へ。

馬鹿だからみんなエレベーターで降りましたよ(笑)

もちろん戻ってくるときは階段にしましたが。

 

最初は東北があんなことになってるなんて情報無いから、またオフィス戻って

仕事するものと誰もが思っていたけど、だんだんとやばい情報集まってきて、

その場で解散。

私は仲のいい人ととりあえずどっかでお茶でも飲んで落ち着こう、って話したんだけど、

とんでもない、そんな悠長なことは言ってられなくて、

お店もどこも閉店、電車も全部止まってて、慌てて逃げてきた人たちでいっぱいになった

大きな施設は入場制限、タクシーは1台も捕まらない、旦那に電話も繋がらない。

 

最寄り駅の電車が動いてなかったから、乗り換え駅のJRまで歩こう、

途中で運よくタクシー捕まえられたら乗ろう、なんて、まだやっぱり甘く考えて

歩きだしたら、ヌーの大移動なみの人の行列で(笑)

3月で、まだ寒かったし、歩いてる途中で暗くなってきたけど、すごいたくさん人が居たから

ちっとも怖くなかったです。

 

道路標識をさぐりながら、途中公衆電話から旦那に電話して、

何とか連絡がついて、見つけたホテルの宴会場に収容してもらい、一息つけた。

でも一睡も出来やしない。しょっちゅう余震があったし。

 

やっとこさ朝の5時くらいにホテルに旦那が車で迎えに来てくれて、

あのときほどほっとした瞬間はなかったです。

まだまだたくさんの人がホテルに残ってたから、自分だけ家族に会えて、

家に帰れるのが申し訳なかったけど、正直余裕なかったし。

 

旦那も、うちは千葉なんですが、迎えに来てもらう途中、例の市原の石油コンビナート火災

のせいであちこち通行止めになってたり、浦安付近は液状化でぐちゃぐちゃで、

ホント大変だったそうです。

 

家に着いて、家が無事(なんと、旦那のPCのディスプレイが傾いたのと、プラモが棚から落っこちたくらいが我が家の被害でした)で、うさぎも無事で、自分の布団に横になれたときの安心感ったら無かった。

 

妹も、その頃健在だった父も、義実家もみんな無事と知って、やっと11日が終わりました。

 

でも実際はその後ですよね。

輪番停電、店から食品が、特に水がなくなって、電車はしばらく不通、ガソリンも無くて、

原発のニュースや津波の被害がどんどん報道されて、

それからが震災の始まりだったようにも思えます。

 

そのとき住んでた家は、上水道井戸水で、ガスはプロパンだったので、ライフラインが全く

問題なく、あの時はありがたいと思ったなぁ。

 

そうそう、トイレの水すらないという実家に、何十リットルも入る馬鹿でかいプラケース×2に

水いっぱい詰めて持っていったりしました。

途中のスーパーで冷凍食品とかレトルトとかインスタントを山ほど買い込んで。

 

復旧してしばらくしてからも、都心に住んでいる同僚は、いまだにスーパーに何もないと嘆いてましたが、うちの近所は数日で通常営業に戻ったな。

 

田舎だから(笑)