今日自習した範囲のなかに「不登校」がありました。
その教科書で面白かったのは、「そもそも“学校”というのは何なのか」というところから始まってること。
言われて見れば、昔は武士の子とか、一部の子どもだけが勉強をしていたんですよね。
それが明治維新後、徐々に教育が普及していく中、それでも家の手伝い(弟妹の世話とか)をしないといけなかったりして、今のように100%学校へ行く、というのは少なかったのでしょう。
だから、経済が良くなって、皆が裕福になると、学校へ行かない子どもがどんどん減っていった。
それが、戦後の高度経済成長期を経て、1970年代あたりから、再度「学校へ行かない率」が再度上昇します。
それまでは、経済的理由などで通学出来なかった子が多かったのに、
特別な理由もなく、もちろん家庭環境に「行けない」理由がないにもかかわらず、「行かない子ども」が増えてくる。
その背景として、
・受験競争の激化
・現代の経済成長や情報化などの社会的背景
が絡んでいるのでは、と書いてあります。
要するに、学校へ行く・行かないが、(いじめなどは別として)子ども本人だけの問題じゃなくなって、より不明確になったってことですよね。
ただし、最近では、私立のサポートスクールや定時制高校などでの受け入れが充実してきた。もちろん充実させるまではとても大変だったでしょうが。
いまだに小~高校→大学→社会人、というルートを信じて疑わない大人はたくさんいるでしょうが、途中で少しルートが違ったところで、さして気にもされない時代になりつつあるような気はしています。
だったら、別に「不登校」でもいいのかな、とか思います。
例えば中学校を、住所で区切られた学校の教室へ行かなくても、別のスクールや教室(保健室とか)に通うことで卒業できるなら、高校へは進学できるんだし。
でもさ、金八先生的な考えでいくと、学校って勉強するだけのところじゃないんですよね
私も正直子どもの頃同学年の友達と遊ぶのが得意なほうではありませんでしたが、
それでも、いま思い出すのは、学校の授業じゃなくて、友達と遊んだことばかりです。喧嘩したこともあったけど。
そういう経験を色々しながら大人にならないと、大人になってからきつくないかなー。
だって大人って冷たいじゃないですか(笑) 何かあっても、子供同士みたいに気兼ねなく言ってくれないし。でも陰で何か言ってるし(笑)
「子どもが自分自身で学校へ行く意義を見出さないといけない時代」
とも書いてありました。
大人もそうですよね。「生きる意味」を、昔みたいに、家庭を持って子どもを産み育てて、っていうひな型だけに当てはめることが出来なくなって、悩んで病んでしまう。
私の世代までは「学校へ行くこと」自体に疑問を持つ子どもはまだそんなに居なかったと思います。
今の子どもは大変だ…。
「どうして学校へ行かなきゃいけないの?」って、もし自分の子ども(いないけど)に聞かれたとして、納得できる回答を返せるかどうか、今の私には自信がありません。
(親として、ってことで。)