今、こちらの本を読んでいます。
山中康裕著「少年期の心」(中公新書)
精神科医の山中先生が実際に担当された子どもたちの症例なんですが、
学校恐怖症の子や、場面緘黙の子が出てきます。
とくに場面緘黙の子。
その症例の子ではないですが、山中先生いわく、「子どもの頃に喋ることを禁じられた(うるさいから静かにしなさい、など)子がその後発症することがある」と。
喋る事自体に罪悪感があるらしいです。
本に出てくる症例の子は、先生の治療が始まってから症状が変わって、
緘黙は続いているものの、教室内で消しゴムを投げるようになります。
でも山中先生は、それが彼なりの何かの表現(言葉の代わり)だとして、自由にさせてやって欲しいと担任の先生に頼みます。
こういうのって、大抵一度くらいは経験ありますよね。
なんでそんなことしてるのか、当時は自覚があまり無かったりするんだけど、どうにもじっとしていられなかったり、いてもたってもいられなくて、不可解な行動をする。
でも大抵、先生も親も、その行動自体を止めます。
「どうしてそんなことをするの?」と聞いて来た大人は一人もいません。
ただひたすら「やめなさい」。
そんなことが続くと、自分の表現方法=表現したいと思っていることが間違いなのだと思うようになり(子どもにとって大人が上から言う命令は超絶対だから)、次第に自分自身の存在自体、軽んじるようになります。
私自身、今は自分の存在を軽いとは思っていませんが、その反動(投影?)からか、ある時異常に他人を軽んじることがあります。それがまた、全員じゃないんです。一部の人だけ。
私が子どもの頃(70年代~80年代)には、子どもの不可解な行動の裏を見ようとしてくれるような教師はいなかったなー。正直、親も。ダメ、ダメ、それだけ。
父は少し違いましたけど。ダメとは言わない。ただ黙ってみてる。
ダメって言われるよりましだったかな。だから父のおかげかもしれません。今何とかやっていけてるのは。
話を戻しますと、この本に出てくるいろんな症状の子どもたちが、部分的に自分と重なって、すごく辛いです。この子達偉い。だって子どもなのに、大人とちゃんと向き合ってるもの。
私も、いつか、昔の私みたいな子と、向き合えるカウンセラーになりたいです。