最近、
「周りから見ると、わたしの人生って
うまくいっているように見えるよね」
みたいな表現をよく聞くようになりました。
えええ~~~~!
なんじゃソレは!
どっからその表現でてきたんだ!
と、わたしはコレに類似する表現を聞くと、
ものすごく違和感・驚きを感じてしまうのですね。
しかも、つまらなさそうな、
なんだか楽しくなさそうな表情でそう言うのです。
主観からですが、
その表現には隠された表現があるように思えます。
「自分を見ている自分は
人生がそんなにうまくいっているように
見えないけど、
周りから見ると、わたしの人生って
うまくいっているように見えるよね」
という具合に。
本当に、自分の人生に
他人とか関係なく満足しているんだったら
「わたしの人生ってすごくうまくいっていると思う!!」
って感じで言うかなーと思うんですね。
他人の感覚からしたら、
他人の基準からしたら、
他人の持ち物からしたら、
他人の環境からしたら、
他人の収入からしたら、
その他大勢の中では、わたしはこれくらいの位置にある。
って、それ世間に対してマウンティングしてるってことですかね・・・
じゃあ、世の中に他人がいなくて
あなたひとりだったとしたらどうなの?って思うのです。
(まあ実際にはそんなことはあり得ないですが)
世界にあなた一人しかいなかったら、
他人の目もないし、
マウンティングする対象も、
ないわけですよね。
「自分を見ている自分」しかいないわけです。
そうすると、自分を見ている自分は
「人生うまくいってるね!」と言えるのでしょうか。
「周りから見ると~以下略」は、
不満を抱いている「自分を見ている自分」への
精一杯の言い訳に聞こえるのですね。
本当に人というものは、
カンタンに目の前にあるお金、地位、名声などなど
そういったものに惑わされます。
こんなこと偉そうに書いてますが、
わたしも惑わされます。
ある意味、とても人間らしい感覚かな~と思います。
人間は常に効率的判断をできるわけではないということですね。
例えば、今の仕事にすごく不満を抱えている。
人間関係が。
お給料が。
仕事の内容が。
でも、不満を抱えつつ、
やり続ける人は多いかなと思います。
それが良いとか悪いとかではないです。
なぜ不満を持ちながらも続けるのか?
状況が変わると、自分の手に入っているお金、環境、地位、
そういったものがなくなることに恐れがあるからです。
自分が手にしているもののほうが、価値があるように見えるからです。
だから、わたしも含めみんな、
お金、環境、地位、名声、環境、自分の持ち物などに
自分の判断を狂わされやすい、惑わされやすい。
目が曇りやすい。
だから不満を見えにくくする。
都合の悪い情報は視界に入れなくする。
その結果出てきている言い訳が
「周りから見ると、わたしの人生って
うまくいっているように見えるよね」
なのではないかと考えています。
何も気づかず、自分の発言や状況に疑問を持たず、
ずっと生きていくのもぜんぜん良いと思います。
むしろ、葛藤がないならその分幸せかもしれない。
もしかしたら、
ものすごく年をとってから、
最も身近な自分を疎かにしていた、っていうことに
気づくかもしれない。
「(自分を見ている自分は、人生が
そんなにうまくいっているように見えないけど)
周りから見ると、わたしの人生って
うまくいっているように見えるよね」
そんな表現がふと無自覚に出てくる方は、
なんでこんな表現が、自分の内側から出てきているんだろう?
って考えてみると面白いかもしれないですね
それが自分と向き合う、
ひとつの切り口になると思います
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