ずいぶん迷いましたが、幼稚園は3年保育を選択いたしました。
一人っ子には、お友達が必要だと思いまして。
大人気の大規模幼稚園と、近所の幼稚園。
2カ所につれて行き、近所の幼稚園を選んだ王女でしたが、
初日から幼稚園バスの乗車拒否。私が連れて行くことになりました。
お母さんと一緒に幼稚園で暮らしたいいいいいいい。←一緒にいたい(-_-)
と言っては泣き、持っていった上靴を、
持ってかえるうううううう。
と言っては泣き、
お友達と喧嘩したから、一緒にあやまってええええええ。
と言っては泣き、どうなることかと思いましたが、ある日突然、
みんなと一緒にバスに乗っていく
と勇んで通い始めたのでした。
当時は、歯科医院のスタッフも充実しておりまして、手助けが必要な時のみ、
仕事に入っておりました。
なので、母として、幼稚園行事のお手伝いなども、積極的に参加しておりました。
お誕生日会、発表会、運動会などなど、私にも、ママ友ができはじめたのでした。
そんな中、複雑な大人の事情で、悔しい思いをしたことを思い出します。
いつの頃でしたか、
幼稚園から、国から “子ども手当” が支給されるので、申請を出して欲しいという
連絡を受けたのでした。
これは、所得制限がございまして、我が家は当然ながら、該当せず。
税理士先生から、
申請しないでいいですよ。もらえませんから。
と言われ、園の方にも連絡したところ、なぜかすごく 異常に 驚かれたのでした。
いや・・そんなに驚かれても・・・
そもそも、制限以上の収入がなければ、経営が成り立ちません。
スタッフ数名のお給料と、開業で借り入れしたお金の返済だけでも、年間制限金額と
同じくらいの収入が必要でした。
経営者は、全収入が自分の所有金にはなりません。
でも、
サラリーマンの皆様(一部)は、想像力がありませんでしたようで。
その上、どこで、どう、火がついてしまったのか、
親しかったママ友に、
アルタちゃんママのとこ,手当の申請しなかったんでしょ
などと言われまして
いやだなあ・・・と、落ち込みました。
そんな妻に、国王は、
何いってるんだ 我々は、子ども手当の財源を作ってる側なんだぞ<(`^´)>
堂々としろ <(`^´)>
と、叱咤激励するのでした。
ママ友に、
そうよ(ё_ё)
と言えなかったことが、今更ながら、残念
ただ、そんな大人の事情を、子どもの人間関係にまで持ち込ませないように
と願うのみでした。
そこのところ・・・
王女自身は、まだまだ深い思考はできませんでしたので、ある意味幸せだったと思います。
ある日、
お友だちがね、子ども手当が出るとか出ないとか言ってたんだけど、
お父さんかお母さんが出せばいいんじゃない?
などと、何を言い出すのかと、ドキッとしましたが、
王女は至って真面目。
子供に手を当ててあげるんでしょ。ね、こうすればいいだけよね。
と、両手で私の顔を包みました。
父と母は絶句でした。・
が、王女の手のぬくもりを感じながら、
これこそが、子どもたちが喜ぶ「手当」なのかもと感じました。
財源もいらないですし。
天然王女の、“マ”のぬけたお話しですが、そんな王女もその後、複雑な“人の心“を
学んでいくことになるのでした。