「強くなりたい」

そう思い始めたのは、小学生の時に母を何かは分からない全てから守りたかったから。

「優しい人になりたい」

そう思い始めたのは、中学生の時に読んだ漫画の主人公の影響。

「強く優しい人になりたい」

そう思い始めたのは、いつも心穏やかで優しい人で居るためには、自分が強くなければ無理だと理解したから。

そうして他人を「許す事」も大切だと気付く。

でも、そうなりきれない、そうする事で心に綻びが生じているのも分かっていた。

そりゃ人間だからそうだ。
私にも感情はあるし、全ての人にそう出来るわけではない。そして致命的なのは、まず「自身」を「許せてない」所である。

でもでもでも……その人にはその人の考えがあってそれを尊重したい、全ての事象を許せる心が欲しい……でも出来ない……とダウンワードスパイラル。
そんな気持ちを悶々と抱えていた時、友人に言われた。

「君の心のフィルターは丸でガーゼだ。少し隙間広げて?そうしないと君が駄目になってしまう」

今でも思う。友人は比喩が上手すぎる


今もまだ、自我と理想の間でもみくちゃにされる日々だ。
死にたくなる日もある。
他者と自分の間にある、踏み入って良いラインもブレブレだし、いい歳して社会にも出てない、何も分からない子供だ。
なんなら私の感覚は子供の時のまま、視点も子供の頃に近いモノがあると思う。
他人を不快にさせたくない、という気持ちで自分を殺し過ぎて、キャパオーバーの日もある。

でも、それって自分が望んだ事。
だから誰かのせいにしたくない。
行動の結果の責任は自分で持たねばならない。
言い訳もしたくない。

いつか、心を研鑽出来た日に、いつか、真っ白で透明な心を持てれば良い、持てたら良い。