雪のち流星ときどき花火 -9ページ目

雪のち流星ときどき花火

腎不全【血液透析3回/週】と脳出血による左片麻痺・心筋梗塞2回と左脚切断を抱きながら、独り身をエンジョイしていつつも、ぼちぼち寂しくなってきたアラフィフのおっさんが日々の載せたい・体調諸々と←つまり何でも良い(^_^;)を気まぐれにアップするブログです。

ここ10日間ほどであろうか?
左足の脛の外側の筋肉が攣るという手の打ちようのない痛みに徹夜で悶絶していることなんかもあった。
『このままでは困る!』ことをクリニックに伝えたら、見知らぬ薬が処方された。
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どうやら透析をしているとカルニチンなるモノが欠乏気味になるようだ。そのことにより上記の症状が起こるらしい。というわけで、先週の土曜日からこやつを服用している次第であります。




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本日、聖マリアアンナ大学病院の整形外科を受診した。

手根管症候群のオペにむけて、腹を決めて臨んだつもりだったが、透析の医師から意見を書いてもらった手紙を見るや即『投薬を続けながらのオペは闇で刀を振り回すようなものだからできないし、検査データが古いので、再度検査も必要』ということで、1月に検査と外来〔別の日〕に行く事になった。
嗚呼、面倒だし手も痺れて痛むし何とかならないものであろうか?
更なる医学の進歩を切望する。




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「ボクの朝」


 最近のボクは、透析のドライウエイト(透析が終わった時点での目標体重)も落ち着き、透析のない日と透析のある日(通い方も含めて)のパターンも定まって、まあまあ生活が安定してきているように思います。

 透析に行く日は、朝6時30分に起床し、まずはテレビのスイッチオン。そして「えいやっ!」っとベッドに端座まで一気に起きあがり、その時点でわがiマック(マック製のパソコン)が目の前。「おはよう」のスイッチオン。今や早くも古参機種になりつつあるわがiマックは、起動に時間がかかるので、その間に杖ついて流しへ、えっこらさよっこらさと行き、歯磨きひげ剃り洗顔タイム。耳には朝の情報番組のアナウンサーの声が、何気なく入り続けてる。

 まだまだ水は冷たい! 湯沸かし器があるので使えるのだけれど、なぜかひげ剃りのときしか使わない。歯磨きは水。そして、ひげを剃るときにお湯を使う。その後、顔を洗うときお湯を使えばいいものを、どうもそれでは眼も覚めきらない気がするやら納得いかないやらで水道水をシャワーモード(モードと言うほどしゃれたものではないが)にしてザーッ!っと出しておいて、顔の方からバシャバシャと行くのであります。

 「ヒュエーッ!」とか「アーッ!」などと、わけの分からない悲鳴なのやら奇声なのやらをあげつつ、完全に目覚めるのです。と、タオルを引っこ抜き、顔をふきつつふすまをちょっと開け、テレビの時間に目をやると、時刻は7時プラマイ5分(かなりよい精度)。

 

   「ヘルパーさん到着!!」

 
 いったんベッドに戻って、タオルで顔をふきふきネットをつないで、新聞なんぞをのぞいたり、メールをチェックしたりしていると、ゴンゴンとノックする音が鳴る。

 「おはよーございまーす」と、本日最初のヘルパーさん。朝ご飯の準備をお願いしつつ、着替えを出してもらい、食事作成中にボクはゆっくり着替えてる。

 着替えの作業などというのは、調子がよければ一通り自分でできちゃうが、体調の芳しくないときなどは、ちょっと手を貸してもらうだけでも大助かり。袖をたぐってもらうなど・・・

 やがて朝食ができあがり、ブレックファーストタイムです。食欲は旺盛で、ぺろりと平らげ朝の薬を飲んで、あとは透析に行く時間までボクはゆったり、ヘルパーさんは、朝食の後かたづけ、ゴミ出し、洗濯物が乾いていればたたんでしまってもらっとくという感じです。

 そしていざ、透析に出発のときを迎え、電気・テレビ・パソコン・ポカポカマット・留守電…とお出かけ前チェック。「ヨッコラショ」っと立ち上がり、えっちらおっちら玄関へ。ヘルパーさんはボクの近くにいてくれます。

 黒いジャンパーを引っかけ、チャックは介助してもらい、靴は装具をつけているので、茶色くてソフトな、いわゆる「リハビリシューズ」です。そして部屋を後にして、1階のくせに4段ある階段を慎重に降りて、バスの止まる場所まで超スロー歩行。

 「さぶいねーっ」などとほざきつつ、バスとの待ち合わせ場所まで歩く。転倒という事態は幸い今のところないですが、おっとっと・・・という事態は何度か経験あり。ヘルパーさんがひょいと支えてくれてセーフ!で助かっています。

 バスが来て「そんじゃ、あとヨロシク!(戸締まり用心火の用心)」と言ってバスに乗り込み透析へ行く。というのが、だいたいの透析日の朝のボクです。

 

   「本格復帰に向けて」

 
 最近は透析のない水曜日に「仮想勤務(勝手にそう名付けた)」と称して、からだ慣らし、感覚慣らしも兼ねてヒューマンの事務所に朝から顔を出し、事務局会議なんぞに出ていたりして、さらに生活の質の向上を企んでいるところであります。

 春の気配がちらりほらりと感じられるようになってきた今日この頃、花粉症などというものにとりつかれている人も少なくないのではないでしょうか?

 実はボクもそんな一人であります。けど、こんなにしっかり花粉症なのは今年が初めてです。28歳のときから花粉症を自覚していますが、それから昨年(33歳)まではせいぜい眼がかゆい程度でした。ところが今年は花粉症人のご多分にもれず、鼻がムズイ! ティッシュの消費が目に見えて多い! これは障害のみならず、花粉症もバージョンアップかいな?などと思っているのであります。

 この春が来ている証拠とも言える現象とともに、職場の方にも本格復帰に向けて動いていきたいと思っています。

 「MOVEMENT」というテーマを胸に よーし、ここからここから行くよー! おうっ!
  「1階でもこんなにあるバリア」

 

退院してから早いもので4ヶ月が過ぎました。今までも何度か入院し退院という経験はしてきましたが、今まで経験した中で今回ほど勝手の違う退院はありませんでした。左片麻痺という新しいボクの身体の状態を携えての退院。

 

   「団地は不便だ!」

 
部屋は同じ東京都住宅供給公社内で3階から1階に前もって入院中に引っ越しましたがそれでも階段は有り、公社住宅としては最小。と言っても4段。1階なのに・・・部屋の中はと言えば玄関にまず一つ段差。トイレに行くためには14センチの水止め越え(お風呂とトイレの入り口が1箇所)という難所有り。まあ、片麻痺になってみて初めて実感するさりげなく目の前に立ちはだかるなんて表現をするほどでもない小さくてとてつもなく大きな壁。一応ベランダもあるけどそこに出るのにも段差有り。生まれ育った公団住宅も家を出て初めて借りた民間アパートも考えてみればみんなこんな風で、造りに大差無かったってことに今更ながらに気づかされた。今でこそ随分慣れて杖をつきつつ「よっこいしょ!」でまたぐことが出来るようになった14センチの水止め段差も最初(外泊していた頃)は覚悟を決め、かつ、精神集中して望む難所であった。

 

   「送迎バスの乗り降りあれこれ」

 もちろんボクの場合、透析にも通わなければならないのだが、この交通手段をどうするか?という問題があった。

退院したての頃は父親に送り迎えを何度かしてもらったがクリニックが出している送迎バスを使えることが分かったのでそれに乗ることにした。乗り場は4段の階段を下りて前の通りを左に10~15メートルくらいだろうか団地群の周回道路のようなところだ。バスはいわゆるワゴン車で横にスライド式のドアのある車。乗り込もうとして初めて気づいたステップの高いこと。自分の膝より上はあると思う。うっそー!乗れるのかよ?不幸?中の幸いなのか右の良い位置に手すりがあった。杖を適当な所(車内)に立てかけて「せーのっ」で右足をステップに乗せるここで素早くステップに乗せた右足に体重を移動しないと左側に崩れるように倒れてしまう。そして右腕で手すりを引っ張りつつ右足を踏ん張って左足をステップへ引きずり上げる。後は天井に頭をぶつけない程度に身体をかがめつつ、極細かいかに歩きで座席まで移動する。乗るときはこんな感じだ。

 どちらかというとこわいのは降りるときの方だ。これは実際にドキッっとしたことがあった。座席から周りにあるなんらかのもの(てすり・座席・補助席など)につかまりながらやはりカニ歩きのように出口まで行き、やはり右側についている手すりを右手で握り左足(患側)をそーっと地面へと降ろしていこうとしていたその時、「クリン!」と左足が車体の下に吸い込まれるように・・・手すりがなければ完全に左側から墜落だが右手は車が倒れても離すものか!としっかり握っていたので変な格好の状態に一瞬なっていたと思う・・・「あらっ」っと言ったか「うわっ」っと言ったかその瞬間迎えに外へ出てきてくれていたヘルパーが身体を支えてくれてセーフ!大事には至らなかったものの介助者この時間に来てもらっていて大正解!の出来事だった。

 

   「気まぐれ日替わりボクの左側」

 
 左足左手の状態は日によって随分違う。なんでかは未だよく分からないのだけど、えらく緊張が強くてガチンガチンしている日があるかと思うと今日は抜けてるなあと思うほどに楽な感じな日もある。足で言うと装着している装具のベルトををぶち切るのではないかと思うくらい緊張が装具を押していて(手で言うグーになろうなろうとしている方向に勝手足に力が入る。)痛く、膝もくの字の状態から上手く伸びない。これが緊張の強い時のパターン。調子の良い日はその逆で力を抜こうと思っているときに抜けている。しかもそんなに強く意識しなくてもだ。手の方もグーに限りなく近いくらい力が入ったまんまの日とパーまでは行かないまでもよく力が抜けていて楽な感じな日とがある。左片麻痺という状態のボクは2000年11月22日でやっと1歳になったばかりなのでまだまだ自分の身体でありながらも理解できていないことがあるとは思うが自分の身体の発する声をよく聴いてもっと自分自身が自分の身体をよく知ってあげないとならないなと思う今日この頃なのであります。

 

この病気(脳出血)に倒れたことで初体験する事になったことがいくつかある。一つは言わずもがなの肢体不自由だ。足はもとより片手が使えないのがこんなにもまどろっこしいことだとは・・・僕の場合、左片麻痺という左側の手足というより身体を真ん中から分けてその左側の麻痺であるがこれが透析の時は言うなれば両上肢が使えない状態になるわけで(右腕には透析の針が2本ささっているので右手も動かせない)腕のシャントが使えるようになった最初の頃は鼻の頭が痒いだけで「看護婦さーん!」と地声ナースコールをしなければならなかったのだ。「どーしたの?」と看護婦さんがきたら「ハナノアタマガカユイ」と言っていた。あと、手・腕に関して怖かったのは気づかないうちに左腕を背中に敷いてしまっていたときである。すっかり気づかずにいて右に寝返りを打ちかけたとき・・・うっ、肩のあたりに微かな引っ張られ感が・・・ただでも亜脱臼気味の左肩を思いっきり引っ張ってしまっていた。これには何度も冷や汗をかいた。(^_^;)

 実際になにかをしようとするときは必然的に右手に頼ることになる。例えば朝ご飯。

ゆで卵などという底意地の悪い(あくまでもその時の僕にとってのであるが)メニューがよく出た。殻をむくのに3~4分かけて食べるのは1分とかからないというようななんだか「一生懸命やったのに」・・・「これだけ・・・」みたいなことはいくつもあった。

「これだけ・・・」はまだ良かったのかもしれない。どこか明後日の方向にぶん投げてしまって「台無し・・・」よりは。これは蒟蒻畑で何度かやった。あとこの度の初体験と言えばリハビリというやつだ。何度も聞いたことはあったが本格的にリハビリテーションを受ける身になったのは今回が初めてだ。PT.OT.STというのがあってPTというのが理学療法といって主に足(立ったり歩行)の訓練でOTというのが作業療法といって主に手であとは日常の動作を残された機能でいかにやるか?という訓練の場であった。STは言語療法で僕の場合これには行かないで済んだ。それぞれ実際はもっと奥深い意味があるのだろうが病棟ではPT=(足)OT=(手)ST=(言語)と病棟のリハビリ時間報告板に書いてあった。

 

 まさか「立つ」練習だの「歩く」練習を自分がするとは正直言って思わなかった。最初の頃はPTのまっただ中に「俺なんでこんなとこでこんなことやってんだろう?」とよく頭をよぎったものだ。だんだん慣れてきた頃は「リハビリって思っていたイメージよりか厳しくないんだなぁ」とも思った。(もちろん、それぞれの人の身体の状況等でも違うだろうが)僕の中にはなんだかもっとスパルタっていうイメージがあったみたいだ。でもそれは違ってどちらかというと身体の使い方を【教えられる】という感覚だった。

 

 僕がいた病院のPT訓練室にはスポーツ選手もよく来ていてプロ野球の選手などは何度か見かけたりした。ダンサーらしき人もいて突然ターンしたりして・・・気分の落ち込んでいるときは「なんでアンタがここ(病院)にいるのよ!」「スポーツ選手はジムにでも行ってくれよなー!」などと心ん中じゃひねてみたりもしていたが・・・

 

 OT室ではいつも4人掛けのテーブルのイスに座り、患側でテーブルを拭くような訓練や輪投げの的から輪投げの的へ輪っかを行ったり来たり移したり、パソコン持ち込んで

ワープロ叩いたりするのが僕のメニューだった。妙に事情通な人がいたり、突然泣き出す人がいたり、外来から来たおじさんが明日のG1レースの自分の見解をひたすら喋って帰っていった人もいた。(なにしに来たんだろ?)

 

 脳出血という僕におこった病気の性質上、多くの人が僕より随分年上で入院中には同世代の人とは結局知り合うことはなかった・・・というより僕のいた病棟にはいなかった。年上も年上、おじいさん・おばあさんの域の人も少なくなかった。しかし、何歳だろうが悲しそうな顔をしている人の顔を見るとこっちまで気分が重くなった。逆に笑顔を見るとこっちもなんだか元気が出てきた。今の自分は・・・・・まだまだ笑顔が少ないだろうなー。まだまだこれから!増やすぞ笑顔!