雪のち流星ときどき花火

雪のち流星ときどき花火

腎不全【血液透析3回/週】と脳出血による左片麻痺・心筋梗塞2回と左脚切断を抱きながら、独り身をエンジョイしていつつも、ぼちぼち寂しくなってきたアラフィフのおっさんが日々の載せたい・体調諸々と←つまり何でも良い(^_^;)を気まぐれにアップするブログです。


WAR IS OVER
IF YOU WANT IT
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以前ピグで知り合った人から教わったグループのこの曲。

どんな表現の仕方でも平和を願う気持ちは一緒だと想う。

 

どうか平穏無事な日常が長く続きますように。

 

『ひろしまVOICE』

 

https://youtu.be/CGcZ9hX-NsA

 

 

 

アラフィフを自己紹介に入れはじめて5年ほど経ってしまった。

 

子供の頃、同じ腎不全の仲間を幾人か見送って以来自分はひとより

 

長くは生きられないんだろうな〜と思うクセがついてしまっている。

 

ところが腎不全のみではなく、脳出血一度と心筋梗塞を二度通過してきてしまった。汗

 

この先どこまで行けるのか知らないけど

 

誕生〜十歳(自分の腎機能)・血液透析(二年)・移植腎(八年)・腹膜透析(十年)・血液透析(22年)

 

をつなぎ合わせてココまで来た命。

 

目一杯楽しみ倒してやるぞ!と

 

決意を今一度しておくことにする。

 

この季節風邪やインフルエンザが怖いですね。

 

皆様もくれぐれご自愛くださいますように。。。

 

あと一月で生まれて半世紀を経ることになってしまった。

50年を生きるとは思いも寄らなかった。【まだ一月あるけど】

今週水曜日父の納骨も控えている。

ついでに自分の右足の骨も納められる。

小学生のときは腎不全で危なかった。

33歳で脳出血に倒れ危篤とまで言われた。

47・48歳では心臓が悲鳴をあげた。

左脚を喪いながらもなんとか命は繋がった。

 

いろんなことがこりごりだけど

一回の人生。楽しまない選択肢は無いつもりでいる。

年末のご挨拶。
慌ただしく2015年が暮れようとしていますが、皆様、お変わり御座いませんでしょうか?

ジョンレノンの命日12月8日を過ぎた頃から、ヒシヒシと2015年も暮れようとしていることをイヤでも実感していました。
考えてみれば2013年の4月に手根管症候群の軽いオペを受ける為に入院してから
5月のゴールデンウイーク明けに心筋梗塞を起こし、生死を彷徨いました。その11月には一応退院しましたが、痛くて仕方の無い、腐りかけの左脚を伴ってのことでしたので、職場には週一回半日顔を出すだけの日々を送るうちに2014年奇しくもジョンレノンの命日である12月の8日にまた心臓の血管が詰まりかけてしまい、入院。
再度生死をを彷徨いながらもカテーテル治療にてまたもや一命は取り留めました。

そして、ついでというかこのままでは良くないという医師の判断の元であったのか左脚の切断ということになり、入院の病棟も整形外科に移り、オペを受けることになりました。
幼少期から自分の辿れる記憶の範囲でも3度は死にかけていたので、脚切断と言われても「腐ってるものだから、そりゃ、そうだよなぁ」という感じでした。


大手術にも思いの外大きな抵抗はなく、むしろ痛くてたまらなかったモノが無くなってさっぱりしたという感じになりました。入院期間も思いの外短く2ヶ月ちょっとという短期間で心臓の工事と脚の断捨離?を終えて出てきたのでした。

そしてこの春から週一フルの出勤を始め、合う人合う人に「元気になりましたね」と言われ怖れを成している昨今であります。このまま行けば2016年も迎えられそうです。多分、2016年はいろんなことにチャレンジプラス復帰する年になる気がしています。ともかく、身体には配慮をしつつ、暮れゆく年を終え、新しい年を迎えたいと思っています。みなさま、お身体、ご自愛くださいませ。 ちゃり。