言葉は感情を表す道具。
嬉しい気持ちや悲しい気持ちを、伝えるために使う道具。
ときどきもどかしくなるのは、どんな言葉も正確には自分の気持ちを表現できていないと思うとき。
日本語でも頻繁にあること。
外国語ならなおさらそうなる。
中国語、韓国語はほぼ脳内翻訳を介さずに感情を表現することが出来る。
言葉に気持ちが乗る。
でも英語はまだ「気持ちと言葉の間」に距離を感じる。
例えば
放松点! というのと、Take it easy! というのでは、圧倒的に放松点!の方が
「まぁ気楽に行こうよ」
という気持ちが乗る。
맛있다! の方が、Yummy! よりも
「おいしい!これ、マジ旨い!」
という気持ちが乗る。
この、「心に広がった色や温度を表現するため」に使うもの、
言葉は気持ちを乗せて使っていないと気持ちが乗らない。
たぶん英語を生活で使ったことが無いからだと思う。
「あーもー!」みたいな気持ちとか、「ほんと?マジ嬉しい」みたいな気持ちとか、
そういうのを英語で伝えたことがないから。
「言葉は道具」というと誤解されたほうが流布している気がするが
(所詮道具なので言いたいことが概ね伝わればよいのである、という種類の解釈)
そうではなくて、
「目に見えない、触れることの出来ない気持ちを伝えるための、道具」
なのである。
つまり、言いたいことがあって、それを如何に正確に伝えられるか?が言葉という道具に求められる価値であって、
「言葉そのものは重要ではない、気持ちがあれば伝わる」
なんていうのは、自分の気持ちを正確に把握できていない、伝える気も伝えてもらう気もない、鈍い人間の言うこと。
人によっては言語化が難しく、音楽や絵やダンスや、そういう違う方法で伝えようとする。
詩人や小説家は言葉を突き詰めて昇華させた芸術家。
よく言われる、
「日本人は英語が話せないのではなく、話すべき内容を持っていないのだ」
には大いに同意する。
右に習えで突出することを嫌い、平均的に人並みを強要されて育ってしまうと
せっかく「道具」を手に入れても「使う場所」がない。
言語化が上手い人は、感情が極めて単純か、語彙が多いか、言葉に気持ちを乗せることを十分に意識しているか、どれかだろうと思う。