闇の子供たち(映画) | キ〇ガイの記録

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精神異常者のたわごと

タイ人が「日本人、気色悪い」とか言ったりする場面、けっこう多いので、「韓国、北朝鮮、中国以外の国は皆、日本人が大好きで尊敬している」と考えている日本人が多いらしい現在、原作者が韓国人である事もあって、原作共々多くの日本人から反発買ってそうな作品だと思った。

 

しかし実際は、上映時日本国内で大ヒットだったらしい。愛国ポルノが好きな日本人て、意外に少ないのかもしれない。

 

小児性愛者を喜ばせるような作品にしないため、また出演児童への配慮から、児童の裸や性交時の様子は最小限に留め、代わりに小児性愛者のクッソ汚い裸体、ケツのアップとか、喘ぐ様子がよく出てくる。

 

宮崎あおい演じる音羽を見ていて、イラッとすると言う人は多いと思う。そして、彼女と対照的な南部に、多くの日本人、観客は共感するようにできている。

 

 

 

故に、ラストにショックを受けた人は多いんじゃないかと思う。

 

音羽は「私は自分に言い訳をしたくない」と言い、タイ語で「話して!」と言い放って南部の手を振り払う。

 

実は少年愛者である南部は、その後ろめたさ故に臓器売買を暴こうとしていたが、自分と向き合うのが嫌で、児童買春とは決して関わろうとしなかった。

記事に書く事で、二度と同じ事が起こらないようにしている。だから目前の人間を見捨てたって良いのだ、と他にも「これで良い」と何度も自分に言い訳をしていた。

 

かつて自分が贔屓にしていた少年の腕を一方的に掴み、引いていた、そして「離して」と内心拒絶されていた南部と、子供たちと互いに手をつなぎ合う音羽が対照的に映し出される。

 

原作の南部は児童性愛者ではなく、普通の正義感強い記者だが、ラストは映画とよく似ていて、「タイのこの現状はどうにもならない」と自分に言い訳をして諦め、音羽に拒絶される。

 

音羽は常に、タイの被害者と共に悲しみ、憤り、助けるために必死だが、南部に代表される我々多くの日本人はそうではない。所詮他人事と冷めた目で見ている。

なぜ南部を児童性愛者にする必要があったのか?おそらく「見て見ぬフリに言い訳してる、あんたらも同罪だよ」と言いたかったのでは。

鏡にはそういう意味があったのかもしれない。

 

 

児童売買のブローカー、チットも印象的だった。

かつて児童買春の被害者で、子供に暴力を振るうシーンが無い。昔のトラウマから、児童への暴力を見ると吐き気を催す。

南部に対して「気色悪い」「お前ら心の中で何度も殺したよ」と言う場面は、ラストに明かされる南部の性癖への伏線だったのかもしれない。

 

 

原作でも映画でも、タイの警察はマフィアと繋がってるから、警察頼っても無駄という設定だが、映画のみ児童性愛者と店の人間が逮捕されるという、ちょっと救いのある結末になっている。

辻褄が合わないけれど、映画において描きたかった事のためにも仕方なかったのかもしれない。

最後、逮捕されたチットは拘束される児童性愛者らと、自らにかけられた手錠を満足そうに眺めていた。

また、かつての被害者で教員になったナパポーンは「タイを舐めるな」と、外国人児童性愛者に言い放った。

 

 

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