「ピーチガール」悪女は魅力的 | キ〇ガイの記録

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精神異常者のたわごと

 


友人の家にあり、サラッと読んだことがあった。

当時は何だかよく分からなくて、何が良いのかさっぱり理解できなかった。

でも、今なら良さが少し理解できる気がする。

 

人気の理由は、第二のヒロインと言うかアンチヒロインと言うべきか、主人公の敵役、「さえ」が一因と思われる。

 

彼女は徹底して悪女として描かれているのだけど、作者の愛を非常に感じるキャラだった。

また、彼女を主人公にしたスピンオフまで描かれていて、多分読者にとっても、腹が立つけど憎めないキャラなのだろう。

どこかで、彼女さえは、女性の悪い部分を凝縮して描いた、みたいな事を読んだことがある。作者も、読者も、どこかしらさえに共感するところがあったのかもしれない。

 

常に人を傷つける言動ばかりとるのだけど、自閉症タイプと違うんだよな~。

頭の回転が速いし、共感能力が高いのでしょう、人がどんな言動をとってほしいのか、どう対応すればどう動くか、分かるのかもしれません。

サイコパス的なタフさが、狡猾さや陰湿さに魅力を与えているのかもしれません。

簡単に言えば、コミュ力高いって事なのかな?

 

こういう人は男女問わず、得するタイプです。自閉症の対照とも感じられる。

ろくでもない言動とっても、許されたり、賞賛されたりする。

橋下徹とか、そういうタイプじゃないかと思います。

芸能界にも多いでしょう。

というか、魅力的でなければ、それくらいの悪女・悪漢でないと、芸能界や政界ではやっていけないのかもしれません。

政治家ではないけど、最近世間を騒がせた安倍昭恵夫人も同じタイプでは?

代々政治家の家に嫁入りして、子供産まず、居酒屋経営する事が許されるなんて、周囲を感化する魅力的な女性でなければ無理だったと思いますし。

 

そう考えると、善良とは良い事なのか?目指すべき事なのか?と考えてしまいます。

だって、どんなに正しい事を言っていたとしても、相手が不快に感じて傷ついていたら、意味が無いんじゃないでしょうか。

倫理、道徳的に悪い言動だとしても、相手が幸せを感じていたら、それで良いんじゃないでしょうか。倫理も道徳も、人の幸せのためにあるはずなのですから。

魅力的な人は、生きているだけで価値があるのです。だって、自然な言動どころか、悪意のあるものですら、相手を幸せにする事が多いのですから。

 

要するに、どんなに努力しても、試行錯誤しても、相手を嫌がらせる言動しかとれない、そんな自分のような人間に、生きる価値はあるのだろうか?と、また憂鬱な気分になったわけです。

 

生産性で人の価値を決めるという考えは間違いである、私はそう言いたい。

しかし人は一人では生きていけない、というのは、人は人と人間関係を築き、必要とされる事に存在意義を見出すという事だと思います。

 

以前、ある程度開き直って、自分をゴキブリだとでも考えて生きた方が良い、と書いたように思ってはいても、やっぱりそんな自分に哀しさを感じずにはいられませんね(ノ_・。)

 

同様に、魅力的な悪女演じるレイチェル・マクアダムスの出てくる映画、パッション↓

 

 

びっくりしたのが、目隠しをして一人で家で待つようにという、差出人不明のメッセージに喜んで、言う通りにして楽しみに待ってる所。

「ゲームとサプライズ」が好きとは聞いていたけど、彼女にとっては暴漢ですら、ゲームとサプライズなのか・・・

 

ひょっとしたら、「悪」というよりも、常に前を向いて力強く歩く姿勢が、眩しいのかもしれません。