こんにちは!
先日の小演奏会、お疲れ様でした!素晴らしい時間を過ごせましたね!
最近忙しくてまともな投稿をしていなかったので、今回は真面目なお話。
「歌」についてです。
初級コース以上の子どもたちは既に習っているお話なので、そんなこと知っとるわ!と思ったら読むのをやめてくださいね!
この世で最も表現力が豊かな楽器は
人の声です。
音の強弱もつけやすく、更にはだんだん大きくしたり小さくすることもできます。
それに歌詞なんかついちゃったりして、伝えたい事が人の心にダイレクトに刺さりますよね。
それに比べ、ピアノときたら…なんですかこの体たらくは。
一度弾いた音は放っておくとだんだん減衰していくだけ。
ちょっと音を間違えたらすぐにバレる。
両手で10本の指を動かして無数の音を弾かなければならない。
おまけに歌詞もない。
そうなんです。
ピアノで人の心に響くような演奏をすることはなかなか難しいわけです。
ピアノの発表会とかを聴きに行って、「あの子上手やわぁ〜」と思うことがあるかと思います。
上手ってなんだろう。
たいてい、ミスタッチが少なかったり、難しそうな曲を弾いたり、テンポの速い曲を止まらずに弾いたり。
それを上手だと言う方が多いです。
では、「あの子の演奏、感動したわ〜。サブイボ出た〜。」
という演奏は?
「上手だった」、と「感動した」は全く違います。
ピアノで感動するときというのは
音に心や魂があるんです。
そして情景やドラマを見せてくれたり
言語として人の心に届くこともあります。
ネイガウス先生はこれを音楽言語と呼んでいました。
それらはピアノというポンコツな楽器を使って歌うことで可能になります(歌わない、非常に暴力的な奏法が楽曲を昇華させる事もありますが、今回はそれを例外とします)。
ピアノで歌うということを習得するためには、まず心を込めて自分の口で歌う力を養う必要があります。
その訓練をシャイニングの生徒は幼い頃から習得しています。
そして非常に合理的な奏法で、自分の心にある歌をピアノというポンコツな楽器に歌わせます。
そこで初めて、ピアノはびっくりするくらい美しい楽器であるということに子どもたちは気づくことができます。
しかし、ここで問題が浮上します。
ピアノは単旋律のみを演奏する楽器ではないということ。
伴奏を含め、複数の旋律が出てきます。
主旋律以外の旋律を最も相応しい姿で出現させてあげることがピアニストの仕事の一つとして課せられています。
よくピアノの先生が言う、
「片手で練習しなさいよー」
は、片手ずつ音を覚えろということではありません。
主旋律を含めた複数の旋律を歌ってデザインしましょうねっていう事です。
そんな当たり前を当たり前にしていけると、人々に感動を届けられるピアニストになってくれることでしょう。